生まれ故郷で初トライアルしたくなったので遠征してきた。全日本第2戦四国大会はあいにくの空模様だけど、気分は「我がふるさと、我が松山、我が一六タルト」だ。
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先月に途中で負傷・撤退を強いられたオンオフ二刀流トランポツーリングのやり直しです。 その時に傷めた左足は日に日に回復してはいるものの、1ヶ月以上経つというのにまだ若干の痛みがあります。日常生活にはほぼ支障ありませんが、飛んだり跳ねたり・・・というのは無理かも。バイクも無茶さえしなければツーリングなら問題なしということで、3連休を利用して夏の忘れものを取り戻しに行ってきました。 前回できなかったこと、やり残したことを先にということで、日程を逆にして全く出番が無かったバリオスの方を1日目に乗り、DTは2日目に出撃させます。 まずはハイエースでオンロードツーリングの拠点となる、愛媛県南宇和郡愛南町の ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・