YAMAHA Motorcycle Day 2023 と言う名の FZR MEETING 密会(謎)に行って参りました。奥伊吹モーターパークhttps://www.yamaha-motor.co.jp/mc/event/motorcycleday/
- 1 いいね
- 0 コメント
夕方キャンプ場に着いてテントを建てていると同じ位の歳の方に声を掛けられました。下のエリアで親子でツーリングに来てキャンプしてるとの事。色々と楽しく会話させて頂いたのですが、会話の中でその方の乗ってるバイクの話になったのですが・・・「僕CBの750乗ってるんですよ、最終型なんですけどね」圭「おぉ良いですね、昔は憧れました」(早川光君に)()は私の心の中です。「お世話になってるバイクで見つけてもらってオークション値で売って貰ったんです〇〇万円で」圭「良心的な値段ですね」(相場知らないけど、そんな安く買えるのか?100万円超えるんやないの?)「でも、傷んだ所もあったから部品手配して直したんですよ」圭 ・・・
本当はこの間行った余呉湖付近の林道にもう一度行くつもりだったんだけど、先日までの大雨で間違いなく林道は荒れてしまってるだろうから今回はドルさんと行く事に。以前テレビでやっていた鉱山跡が目的地。この方面は太平洋側か日本海側の道しか走った事無いので、出来るだけ内陸部の道を走ろうと色々検索。ポリシー破りの日曜日。京都は激混みに決まってるけど避けては通れない。京都の東側をかするように抜けて兵庫県の目的地に行くルート設定。スマホナビに入力して走り出すもバッテリーがガンガン減って行くので分かるところまで電源をoffって走ったのが間違い。相変わらずの方向音痴、今回も炸裂で気がついたら金閣寺とか標識出てくるし ・・・
今回は滋賀県の余呉湖の近くの林道をネットで見つけて行ってみる事にしました。その日の朝まで自走で行こうか軽トラに積んで行こうか迷いましたが、現地で身軽に走りたいので軽トラで行く事に。まずはGoogleマップで見つけた野営地に向かいます。元キャンプ場で森林公園の中にあるそうです。Googleナビで行ったのですが、目的地付近で騙され道が無い!国土地理院のマップでなんとか見つけて現場に着きました。が、看板にデカデカと「火気厳禁」と書いてあります。やはり山の中の野営ではなかなか焚き火は難しいですよね。あと、獣避けの柵を開けて入ってきたのですが、柵が有るということは獣が出るという事でこの場所は今回はパスし ・・・
前回の梅雨キャンプの際は事故死ωして不参加だったヤローがキズも癒えて機体も新たにして復活の烽を上げるべくキャンツーをプロデュースω 参加者セロー250 newCRF 250LTL125当方はハンターカブ125 大阪組三機とは道の駅ハチ北で集合昼食を済ませ、買い出し水は多めに買うω はちまき展望台までダートも走行し、その目の前にあるお助け山小屋前の芝生に設営 設営を済ませ、薪をナイフでフェザー二ングして火を着けた位で驟雨… 結構な降りでたまらずタープ下に逃げるが、占いによるとここだけ当分真っ赤レベルで断続的に降るらしい たまらず山小屋に撤収…この山小屋は、以前に有志が建てた立派なもので、お助け山 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・