いつものK社長のショップにお願いしようとしたら、大繁盛につき修理可能が12月になるとのこと。こりゃ仕方ない、「あの店」に行ってやるか!ただ、片道136km。無事たどり着けるかどうか・・・。
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メモ行き先 自宅→日本総合リサイクル㈱→能登島→道の駅 中島ロマン峠→自宅タイヤ空気圧 前2.0 後2.1 調整 アブソーバー減衰 前後スポーツODOメーター 33154km~33317km オートシフター利用少燃料 5.7L 平均燃費28.8km/L 外出4.68時間。内3.51時間走行。平均速度46km/h 163.7km走行 午前は家族の車のタイヤとオイルを交換し、ちょっと腰に不穏な空気を感じつつ久しぶりにVITPILEN 701に乗りました。ラリーチャレンジ高岡万葉のイベントブースに顔を出し、自動車業界の知り合いに会ったりしつつ峠道へ。途中から林道に毛が生えた程度の悪路になり、アスファ ・・・
メモ行き先 自宅→道の駅 上平→道の駅 風穴の里→道の駅 しなの→越中境SA→流杉PA→自宅タイヤ空気圧 前1.9 後2.0 調整 ODOメーター 62891km~63047km燃料21.05L 平均燃費26.5km/L 外出10.83時間。8.51時間走行。平均速度65.5km/h 557.9km走行 連休中に天橋立に行きたいと思っていましたが、昨日は所用の為に乗れず。昨日は晴れでしたが、今日の京都はお昼から雨。諦めて岐阜、長野、新潟と回って来ました。途中でガス補給しましたが、ワンタンクで帰って来れるみたいです。いよいよ燃費がバグってますね。過去最高かも。パンチングレザーのジャケットでは寒か ・・・
紅葉はまだ早いか??と思いながら最近の朝晩の寒さに山間部は色づいている事を期待し『香落渓』へ向かいます。 早朝5時に起床しガレージに向かうが思いのほか寒く、部屋に戻りインナーを冬用に変え出発。 今日は早々と清州東ICより高速を使用し芸濃ICで下車、グリーンロードを使って国道165号へ・・・途中で風力発電風車群に目が留まり『青山高原道路』に立ち寄る事に。 木々の隙間から朝日が漏れる上り坂に乾いた『Vツインサウンド』が響き渡る。 頂上付近の丘陵には次から次へと巨大風車が現れる。 今日は風が強く、風車が勢いよく回っている・・・雄大な景色を眺め暫し一服。 来た道をゆっくり戻り、国道165号から青蓮寺ダ ・・・
メモ行き先 自宅→道の駅 赤神→道の駅 狼煙→道の駅 赤神→自宅タイヤ空気圧 前2.2 後2.2 調整アブソーバー減衰 前後スポーツODOメーター 25730km~26024kmオートシフター利用燃料 携行缶から補給 9.7L 平均燃費31.3km/L外出6.8時間。内5.45時間走行。平均速度53m/h 293.6km走行 そろそろ紅葉の時期なので岐阜方面を考えていたのですが、スタート時から黒い雲が顔を見せてます。青空の方に舵を取ると時計回りの能登半島に落ち着きました。普段は通らない脇道に進み、志賀原発前からヤセの断崖(松本清張 ゼロの焦点ロケ地)と義経の舟隠しを見物し狼煙に向かいました。
2022.10.30軟弱バイカーが気温と日照時間のキワを狙って日帰り最遠のコースを走ってみた。が、自動車専用道路の整備で時短が図られている。奈良市内をスキップするR24バイパスは橿原まで開通して、五條や和歌山に向けて工事が続いている。吉野に向けてもバイパスだのトンネルだの猛烈な投資が繰り広げられていた。吉野川で近鉄南大阪線と合流するが、鉄路は大きなループを描いたのち巨大なトラス橋で渡河していた。こちらは吉野神宮への案内板を見落として、昔ながらの石橋でトラス橋を追いかけたが、対岸に渡るとたくさんの材木屋があって、木の香りが鼻をくすぐった。都会の国道は昼メシ時に焼肉の香りで空腹をくすぐられるが、材 ・・・
メモ行き先 自宅→道の駅 赤神→自宅タイヤ空気圧 前2.2 後2.2 調整アブソーバー減衰 前後スポーツODOメーター 25591km~25730kmオートシフター利用燃料 携行缶から補給 4.4L 平均燃費31.5km/L外出3時間。内2.6時間走行。平均速度53m/h 139km走行 まとまった距離を走れていない最近ですが、今日は昼過ぎから雨予報。昨夜の雨が路面に残っていて出発のタイミングが遅くなります。9時に出ましたが走れるのは3時間。峠道を中心にコースを組み立てるには路面の濡れが気になります。今日のところは平均速度が高いコースに向かいました。道の駅 赤神では福井ナンバーのハーレー3人組 ・・・
往路では見つけることがなかった「都祁の氷室」の復元氷室。復路で看板を発見し、見学させてもらいました!都祁(とね)と読みます!「日本書紀」が編纂されたのは養老4年(720)、この時代に大和国山辺郡都祁地方に氷室が存在したことは、長屋王邸宅跡から出土した和銅5年(712)の日付が入った氷室木簡によって確かめられています。「日本書紀」の記事は、事実を語ったものというよりも、都祁の氷室についての当時の伝承を記録したもの。都祁の氷室が応神天皇皇子の事績と結びつけられたことで、朝廷によってどれだけ重視されていたかが分かります。こんな史跡が、ポツンと、何気なくあるのが、奈良県ですね。