飛騨高山、雪国のハズなのに元旦に走り初め出来ました。
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さて、最終日は大村市から福岡までジワジワ移動、バイク用品店で雨対策のブーツカバー、レイングローブ(濡れても大丈夫なモノなら良い)を調達してから時間が有れば太宰府。のつもりでしたが、佐賀市街からの脱出に時間が取られて全然無理でした。レインスーツだけは持参していたので手足が揃えば問題無し。今回のツーリングでお城巡り新規12か所。過去に訪問済みの柳川城の御城印入手。4日目が過去のツーリングの中で体力的に一番限界近い感じでしたので、以降のツーリングの参考に記憶(反省)しておきます。高速乗ってから、ご当地の食事を堪能して無いと気付いたので、申し訳程度ですがサービスエリアで佐世保バーガーをいただきました。 ・・・
またしばらく機関が空いてしまいました。とりあえず、3月は仕事の関係で予定していたことが全くできず(単車に乗れず)ストレスたまりまくってたので、無理やり4月頭の袖ヶ浦の走行会に参加してきました。 以前から一度は走ってみたいと思っていたのですが、なかなか踏ん切りがつかず(だって遠いんですもの)。今回、3月に乗れなかったこともあって、思い切って遠征してみました。 体力衰えてるので、素直に前後泊で2泊3日のお出かけでした。いやぁ、やっぱ千葉は遠かったです。まず、蛯名から町田までの渋滞の酷いこととアクアラインまでの道のわかりにくさに前日から疲れてしまいました。(田舎者には首都高難しいです) けど、袖ヶ浦 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
やばい。ボケーっとしてたらもう7月・・・今更ですがGWツーリングのラストデイについて。この日はまず軍艦島を見に行きました。そう見に行っただけ。とりあえず一目見ておきたかった。上陸はまたいつか。軍艦島の資料館とかも色々見たかったのですが、今日の本命は有田陶器市です。早々に出発。西海をのんびり走っても良かったのですが、なるべく早く現地に到着したかったので長崎から国道206→202で有田へ。有田陶器市はコロナの件もあり2019年を最後に行っていませんでした。懐かしい。人出もコロナ前と同じくらいですね。県道281号を下は有田駅付近から上はヤマザキ有田店付近まで歩行者天国にして開催。見ながらだと往復数時 ・・・
今日は家の用事で有給休暇です。何故だか、梅雨入りしてからと言うのも用事のある休みと仕事の日は晴れるんです。北部九州は先週だったかな?梅雨入りしました。あと来週はまた雨続きですから、用事を済ませて慣らしをせんといかん忍千に乗らないと!朝8時半に出て、帰ってきたのは14時半。準備してると15時をまわってしまう‥‥。ん~?忍千は無理かな?土曜だし梅雨の晴れ間だし、渋滞には巻き込まれたく無い!と言う事で、WRでお散歩がてらに走ってこようと。実はWRを出さないと忍千は出てこない(笑)自宅から小笠木峠を抜け三瀬峠へ。それから道の駅 やまとで休憩を取り、三瀬から糸島峠、日向峠の計画でしたが、行きのルートで生 ・・・