新しくなったプロフ画面を充実させてウェビ友を作ろう!

0000265access

1651732447094M.jpg

さん

ステータス

日記投稿件数
718件
インプレ投稿件数
0件
Myバイク登録台数
5台
ウェビ友
59人

気仙沼大島 最南端/宮城旅行記 No.4

走行距離
8km

3日目の続き 景勝地・龍舞崎へ

 

本日は 3.11東日本大震災で被災した気仙沼の「伝承館」を 見学して来ました。

多くの人が亡くなった最大級の悲劇、これを教訓とし 安全な町づくりを目指すという。

これは市民の切なる願い、皆さんの思いが伝わってきます。

 

それでは日も高いので、気仙沼大島の最南端・龍舞崎(たつまいざき)へ 行ってみることにしました(2023.02.16)

宿を出発し大島を横断すると西海岸、そこは気仙沼湾です。

海が綺麗なので浜辺をしばしドライブ、

すると、海辺に丸いボールのような物が無数に浮いている。

聞いた話では 養殖の「ぶい」らしい。

気仙沼湾では、カキやホタテ、そしてワカメやコンブなどの養殖が 盛んに行われているという。

ここの海は養分が豊富で 良質な海産物に育ち、気仙沼の名物になっているらしい。

そして更に走ると 最南端の「龍舞崎」に到着しました。

そこには駐車場があるが誰もいない、売店も閉まっていて寂しい感じです。

では遊歩道を行きます。

登り坂を行くと、断崖と青い海が見られ美しい景色です。

岩礁に荒波が打ち寄せる様子は、名称の通り 龍が舞い上がっているかのようだという。

また、切り通しの洞窟・乙姫窟(おとひめ いわや)もあります。

ここに乙姫様が 流れ着いたという伝説が残されているという。

その昔、漁師の若者と 小舟で流れ着いた姫が運命的に出会い、恋に落ちたと、

二人はこの洞窟で末永く幸せに暮らしたという。

偶然の出会いが人生を変えてしまう、実感!

それでは宿へ戻ります。

走り出すと 間もなく漁港が見えて来ました。

どんなところか 気になったので 立ち寄ってみると、巨大な堤防が築かれている。

かつては のどかな漁村だったというが、今は見上げる高さでまるで要塞、

ここでも震災で景色が一変してしまったようです。

ではエンジンスタート、ナビに誘導され大島を横断、そこは東海岸です。

看板には「小田の浜 海水浴場」と表示されている。

孤を描く白い砂浜と青い海、離島ならではの美しさです。

しかも「快水浴場百選」で、全国第2位に認定されているという。

震災では瓦礫で埋まるほどの悲惨な状態だったというが、全国からのボランティア活動で復活したという。

被災地へ手を差し伸べる助け合いの精神、心打たれます。

その先へ走ると田中浜、そこに「奇跡の一本松」が!

いや違いました、ここは宮城県でした。

その一本松とは 岩手県陸前高田市でのこと、

かつて テレビの報道では、7万本の松林が津波に襲われ 一本だけ助かったという「奇跡の一本松」です。

ここの田中浜には防風林があったというが、やはり津波で流されてしまったという。

現在、砂浜には松の苗木がたくさん植えられている。

どうやら 植樹活動をしているようです。

そして走り出すと「みちびき地蔵」の標識が出ている。

変わった名前なので 立ち寄ってみました。

そこには村人かな? 綺麗な花がお供えされています。

この地では、亡くなる人の魂が その前日に天国へ導いてくれるよう挨拶に来るという。

その云い伝えによると、

ある日、親子が近くを通りかかったら、数多くの村人や家畜の魂を見かけました。

すると翌日、引き潮が起こり 逃げ遅れた61人の村人や 家畜が亡くなってしまったと、

でも、死ぬ前日 地蔵さんに挨拶をしていたので、天国で宴会でもして 楽しんでいることでしょう。

これも 死後 生まれ変わるという仏教の輪廻思想に基づいた伝説かも?

それでは宿へ戻ります。

ここは気仙沼大島の東海岸を走る渚のドライブフェイ、右手は太平洋の大海原です。

田中浜の先は 十八鳴浜(くぐなりはま)、砂を擦るように歩くとキュッ キュッと 音がするというから不思議、

「キュッ、キュッ」と 9が二つで「十八鳴浜」だとか、

砂が汚れてしまうと鳴らなくなるので、地元の人たちは 保護活動をしているといいます。

そして気仙沼大島の宿に戻って来ました。

まずは ひとっ風呂浴びて来よう、明るいうちから風呂とは贅沢なことです。

そして夕食の時間、連泊なので2日目は「プレミアム浜焼懐石」、贅を尽くした海鮮料理が並びます。

造りはマグロの中トロと女梶木(メカジキ)、浜焼はズワイガニとアワビなど、

そしてアンコウ鍋と 蒸し物は大きなカキ、

妻は待望の「フカヒレ」と、気仙沼のおもてなし料理に大満足です(3日目 65km)

さて 明日は帰路、だが500kmほどあるので 途中で一泊します。

往路で泊まったいわき(福島県)の宿は、ツインルームが1部屋 空きがあったので予約しました。

つづく

  • 都道府県:
  • 宮城県
  • 関連サイトURL:
  • -

コメント(全4件)

mar-cup1 リハビリ中のためバイク禁止さん
2011.3.11
普段通り仕事をしていたら大きくゆっくり横揺れが。これは遠くで大きな地震が起きたと感じました。
ニュースで東北で大地震があったことまでは分かったものの、帰路でも余震が続きました。
電車は運休、関越は通行止めで帰るのに倍以上の時間がかかりました。
翌日のスノボは当然キャンセルなんですが、携帯の電波が使えず同行する仲間との連絡がつきませんでした。
一緒に仕事をしていたおばちゃんの娘は釜石に居るけど高台だから大丈夫と言ってました。でもその娘さんとも連絡が取れず、結局津波が到達していたんですね。
翌週休んで釜石に行きましたが、会えたのは2日後でした。

あれから10年以上たっても未だに爪痕に苦しむ人々が居ること。
どんなに時がたっても親戚や友人を失った人々にとってまだは短すぎる、それくらい大変な出来事だということ。
杉さんの日記を読んで昨日のように思い出しました。
  • (1)
  • 返信
けんちゃんさん
おはよう御座います、杉さん
朝早く申し訳ありません、今日3月11日は、日本にとって
忘れてわならない日です東日本大震災です、亡くなられた方々のご冥福をお祈りします、すみません杉さんこの場をお借りして、m(__)m東北は、結構景色の良いところが沢山有りますが
防潮堤他が出来てかなりけしきが変わった見たいですね
以前勤めていた会社(自主廃業)で仕入れ先の会社が岩手県に有りましたが、そこの方々も震災でどうなってしまったか分かりません?、東北は、見る所も沢山有ります、やはり海の幸が
美味しいです、お酒が進んで飲み過ぎたのでわ(笑)
僕も又東北に行きたいです、嫁さんも賛同してますので
必ず行きたいと思います
(取り敢えずは、杉さんの日記で行った気分で満足してます^_^
  • (2)
  • 返信
杉さん
mar-cup1さん おはようございます
釜石の方もご無事だった様子、お会い出来てよかったですね。
おっしゃる通り、携帯は使えないし帰りの道路も大渋滞で関東でもかなりの被害が出てしまいましたね。

そのとき自分も現役で仕事をしていたので激しい揺れに会社でもパニック状態でしたよ。
車内放送で外へ出て非難するよう案内がありました。
天井の照明器具は今にも落ちて来そうな感じでみんな必死に脱出しました。
しばらくして揺れが収まり事務所へ戻ると、女性社員が一人机の下でうずくまり泣いていました。
あまりの恐怖で動けなかったという。震源地の皆さんは如何ばかりかはかり知れませんね。
  • (1)
  • 返信
杉さん
けんちゃんさん おはようございます
おっしゃる通り3.11東日本大震災は忘れてはならない日ですね、犠牲になってしまった方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そこからかなり離れた千葉でも駅前は液状化で沙漠のようになってしまうほどでしたもの!
でも気仙沼の皆さんは何んとか立ち直り笑顔も見られちょっと安堵しましたよ。

今回は天気にも恵まれ海の景色も素晴らしかったですよ、そこに巨大な防潮堤が人々の命を守っていました。
優美な風景は一変してしまいましたが、心配していた海の幸は復活していましたよ。
けんちゃんさんも奥様と是非お出かけください、とびっきりの海産物が待っていますよ、呑み過ぎにはご注意を!
  • (0)
  • 返信