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震災伝承館/宮城旅行記 No.3

走行距離
22km

3日目 気仙沼散策へ

 

これまで福島県のいわきで一泊し、翌日は常磐道と三陸沿岸道を走り 宮城県は気仙沼大島にやって来ました。

そして今日もこの宿に連泊するので、気仙沼の町を見てまわることにしました(2023.02.16)

窓を開けると 青空が広がる素晴らしい天気、眼下に美しい浜辺も見えます。

これは田中浜、遊歩道が設けられているので、浜まで散策しました。

夏にはマリンスポーツが人気、近年はSUP(スタンド アップ パドルボード)をする人が多いらしい。

そして部屋へ戻ると、コインランドリーへ洗濯に行きたいと妻が言う。

ならば そのついでに震災伝承館と、気仙沼大島の最南端へ 行ってみることにしました。

まずは ネットで調べた駅前のコインランドリーへ向かいます。

宿から細い山道を走り、大島を横断し西側の浜へ、

そこに汽船が停泊している。

かつては 気仙沼と大島を結ぶ唯一の交通手段だった。

だが、橋が架けられ汽船は運行終了に、自分も一度利用したが 当時は大変な賑わいでした。

今は湾内クルーズのみ運行しているようだが、人の姿は見当たりません。

汽船ターミナルから北へ進むと 間もなく「気仙沼大島大橋」、青空に映え美しい橋です。

20年ほど前 気仙沼大島に来たときは、橋など無く汽船で渡りましたが、今は待ち時間なし・通行料無料 便利になりました。

そして気仙沼の市街地を走り 駅前のコインランドリーに到着、

だが旧式なのか? 気に入らないらしく 妻はいやだと言う。

しょうがないので、次の候補・病院前のコインランドリーへ行ってみました。

そこは最新型のようで妻もお気に入り、2時間程かかると言っていたが ここは全自動で90分です。

ならば自分はその間に車の洗車、常磐道と三陸沿岸道で雪に降られ 車体はドブネズミ状態です。

近くのSSへ行き「洗車したいんですけど・・・」と言うと、

洗車場まで案内してくれ、洗車機のメニューを聞いてセットまでしてくれた。

とても親切な宮城の男性SFです。

千葉なら「あっちです」と言って素っ気ないが、

では洗濯も終わったので、気になっていた「東日本大震災機構・伝承館」へ立ち寄ってみます。

気仙沼湾に沿って南下すると、右手に破壊された校舎が見えて来た。

これは裏側、更に進むと入口があり表側に出られました。

では受付へ、だが見学者は一人もいなくシーンとしている。

あれから10年あまり、訪れる人も少なく 忘れ去られてしまうのかな?

まずは映像シアター、震災前後の様子を上映 マグニチュード9と津波の脅威を痛感させられます。

そして校舎の階段を上がり、地上8mの3階へ、

教室は壊滅状態、そこに津波で流された車が残されている。

こんな高いところまでもとは、津波の威力の凄まじさを物語っています。

 

最上階の4階では、当時の津波の高さを表示しています。

ここは10m以上、ここまで到達したとは恐怖、信じられないほどの破壊力です。

そして生徒たちが逃げたという屋上から見えるは 旧・気仙沼向洋高校グランド、

今は整地されたのか、お年寄りたちがパークゴルフに いそしんでおられました。

見る限り これまで何もなかったかのような 平和な光景です。

では1階へ戻り外へ出ました。

そこには屋根が流されてなくなった体育館も残されていました。

 

そのほか 校舎周辺の津波の痕跡も見学できます。

かつてテレビで紹介されていたが、やはり実際に自分の目で見ると 震災の被害が肌で感じられました。

それでは伝承館をあとに、気仙沼大島の宿へ向かいます。

走るは伊勢湾岸、右手にはコンリートり堤防がどこまでも続いている。

磯辺の風景は見られなく残念だが これは命を守る堤防、これで安全ではないが 多少安心できるかも、

そして果物が食べたいと妻が言うので、気仙沼のイオンでお買い物、

三陸の珍しいものがあり見るだけでも楽しい、そして地元産のイチゴを買って帰路につきました。

午後3時 宿に到着、妻は部屋で読書して ゆっくり過ごすと言う。

まだ明るいので 自分は更に南下して景勝地・龍舞崎(たつまいざき)へ、行ってみることにしました。

つづく

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コメント(全4件)

けんちゃんさん
こんばんは、杉さん
やはり東北地方を巡る時に忘れては、いけない3.11東日本大震災ですね、津波の恐ろしさをまざまざと見せつけられました
僕も1.17阪神大震災後一年が経過した時に
神戸の町を訪れたましたら、本当に唖然として、言葉を失いました、震災を経験して避難他をスムーズに出来る様に嫁や娘とも、話しあってます
  • (1)
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杉さん
けんちゃんさん こんばんは
イザというときのことを想定して避難など家族と話し合っておくことは大事ですね。
阪神大震災のときはテレビの報道によると悲惨な状況でしたね。
また東日本大震災は津波の脅威を感じました。どこまでも続く堤防が印象的でしたよ。
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
3.11から12年たち、地元の人たちはともかく、時間とともに国民全体からは記憶の風化が感じられる今日この頃ですが、東南海地震の確率は非常に高くなっていて、トルコ地震もあるし今一度気持ちを引き締めなけばと思う今日この頃です。(=.=)
  • (1)
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杉さん
チバアヒルさん こんばんは
おっしゃる通りです、津波の被害もそうでしたが放射能問題は震撼させられましたものね。
3.11伝承館では後世に伝えようとしていますが訪れる人は少ないようです。でもこれを教訓に出来る限りの防災には努めたいですね。
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