大野からは一路岐阜市街地へと向かっていきます。途中で針路を東から南に変え、岐阜羽島方面へ。 少し流れは悪くなりましたが、無事に道の駅・柳津へ。 柳津からさらに岐阜羽島方面へ南下を続けますが、ここで案内が見つからずに少し迷走。それでもなんとか道の駅・クレール平田に到着。堤防上の県道を走っていれば普通に着けたはずなのに...()
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完ソロで静かに眠れると思っていたけど、予想外の夜どおしキツツキが木を叩く音に悩まされ、視界が白み始めた頃合で起床。トイレに行った帰りに昨日は気づかなかった看板が目に入った。「マムシ注意」どう気をつけろと!?スタッフが出てくる8時を待ってチェックアウト。今回のメイン、中腹林道へ!ここの林道は拳大の、しかも3角に尖った浮き石が非常に多くて、ちょっと油断すると石を踏んでフロントを取られて気が抜く暇が無い。荷物満載でフロントが軽いのもあって結構ヒヤヒヤ。山の頂上付近で少しだけ視界が開けただけでほぼ木々の間を抜ける林道でした。下りになると多少石が少なくなり走りやすくなりました。加子母防災ダム側からのアプ ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・