大野からは一路岐阜市街地へと向かっていきます。途中で針路を東から南に変え、岐阜羽島方面へ。 少し流れは悪くなりましたが、無事に道の駅・柳津へ。 柳津からさらに岐阜羽島方面へ南下を続けますが、ここで案内が見つからずに少し迷走。それでもなんとか道の駅・クレール平田に到着。堤防上の県道を走っていれば普通に着けたはずなのに...()
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8年半勤めた会社を退職しました。絶賛ニート。次の仕事が始まるまでの1週間を使って、自分探しの旅に出ました。結局のところ、後半は飲み歩きの旅になってしまったのはご愛嬌。でも、温かい広島の雰囲気を満喫できて、非常に有意義なツーリングでした。 今回の目的地は広島。実は本州で唯一踏破していない都道府県が広島。前回訪れた和歌山県一周ツーリングでラス2の和歌山は堪能したので、今回の広島が実質本州最後。原爆ドームとか呉の軍艦とか島々探訪とか、普段は目を三角形にしてワインディングばっかりなので、今回は観光と食べ歩き・飲み歩きをメインに、ひたすら遠くまで走るツーリングです。 従来の私のツーリングスタイルは基本的 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・