秋のドライブ、これまで名古屋から京都へと巡り、滋賀県にやって来ました。そこでは国宝・彦根城を見学し、長浜で一泊しました。 さて これからは 北陸の豪雪地帯へ向かいます。場合によっては白銀の世界を走れるかも、これは40年ぶり 不安もよぎるが楽しみです(2023.11.24)<写真=加賀・山中温泉と紅葉する鶴仙渓です>
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夏までにはサーキット走行したかったのに、一向に作業が捗らないのでウェビックへの日記投稿を断ってまで頑張るも、余り進まなかった作業ですが、更に夏本番を迎えて灼熱地獄に何度も熱中症寸前に陥る危機に!ギリ駆け込みで未だ安いタイミングでスポットクーラーを手に入れられたので助かった!それでも夕方からだと言うのに作業開始1時間もすれば身体に冷気を当ててても体調がおかしくなって来て・・(;´Д`)ヤバイ! 作業の進捗状況も「牛歩の如く」ですが、ここへ来て何とかフレームにホイールを取り付けて「漸くエンジンを載せられた!」と云うことで、唯一、主にお仲間さん向けにInstagramに投稿してた写真流用にて現状 ・・・
夜まで雨の様だし、昼から何しようか?久々に石原裕次郎の日活映画でも観るか?と思ってましたが、雨雲が切れて暫く降らなさそうだったので、TLM200Rの作業の続きを少しだけ。 スイングアーム周りを組んで行こうとパーツリストとサービスマニュアルの図をコピーした紙で段取りを確認していて「思い出した!」付いてなかったチェーンスライダーを「如何しよう?」かと思いながら「そのままだった・・」 選択肢は(1)TLM200Rの純正部品のチェーンスライダーは出ないので、未だギリ出るTLM220Rのスライダーを加工して使用(ネジ穴の位置が違うらしい)(2)他車種の純正部品又は社外品の流用(流用可能品の選択と加工取付 ・・・
KX112にどんなパーツを装着すれば良いのか?オフの世界は全く知らないので、オフロードならハンドガードやスキッドプレートなどは無条件装備品なのかと思ってましたが、それはエンデューロの場合で、モトクロスなら素で行っても良い様な感じなので、当面はKX112はモトクロスに、シーズンオフに早くセロー225を仕上げてエンデューロに使おうかと考えています。 なので色々考えていたKX112の装備品ですが、取り敢えず真っ先に欲しい品の「サイドスタンド!w」を「ちゃねスポーツ」のオーダーフォームに入力して送信しましたが、レスポンスが返って来ない・・なんだかオーダー通ってないような感じなので今日になって「問い合わ ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・