「鳥越峠」の次は、昨年のGW中に悪友SP君達と原二で行って倒木により同じく「通行止め!」を喰らった「冠山峠」へ、いざ行かん!とも思いましたが、ガレージに帰り着く前に、また真暗になったらあぶなくて嫌なのでw 木之本駅から直ぐのところ「賤ヶ岳リフト」の乗り場へ行き「賤ヶ岳古戦場」へ!
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GGさんの日記を拝見し、ちょうど一年前の昨年11月末に雪が降る前に鳥越峠越えに行こうと滋賀県側の入り口まで行ってみたら「工事期間中につき通行止め!」だったのを思い起こし、今年こそは!と思いつつも、気が付けば昨年と同じ11月になってました!w 天気予報では風が出るとか寒そうなことを言ってたけど、いざ出発してみれば、曇っており琵琶湖大橋付近ではシールドに霧雨的なのが落ちて来ましたが、琵琶湖は凪の状態で風も無く助かりました!鳥越峠の滋賀県側の入り口に着く頃には雲も晴れ、心配した気温の方も夏グローブでも大丈夫な位! 昨年と同じ漁協事務所前の橋で写真を撮り、無念にも引き返した林道の入り口でも写真撮影!w ・・・
旅行支援クーポンを使って一泊しようと旅行サイトを見ると近畿地方のクーポンは既に売り切れ!隣県の岡山・鳥取はまだクーポンが残っていたんで、今回鳥取の浜村温泉へ一泊ツーリングに行ってきました。 予報では快晴だが、朝晩は冷え込むとのことで衣服に悩んだが、寒ければ雨合羽でも着ようと気温が上がる昼間に合わせて着込み、気温が少し上がった9時過ぎに出発 最初の休憩は福崎町写真の洋館は「妖怪ブックカフェ」ですが、コロナ禍で臨時休業中との看板が建物自体は説明看板によると旧郵便局とのことです。 福崎町は妖怪で町おこしを図っており、妖怪や妖怪ベンチも増え観光客もそこそこ来てました。柳田國男生家など公園内を散策して3 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・