こんにちは!ホンダドリーム焼津です 昨日、今日と店頭試乗会を開催させていただきました! 昨日は1日中天候もよくバイク日和でしたが、本日は午後からあいにくの天気に…。 昨年10月のオープンイベントを除き初めての店頭イベントにとてもドキドキしていましたが思っていた以上の反響をいただき、多くの方に試乗していただけました! ご来店、ご参加くださった皆様ありがとうございます!!
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熊野古道大辺路を巡る旅の後編です。前夜は少し飲みすぎましたが、たっぷり寝て元気回復して、熊野古道ラストディを走ります。A地点まずは、串本のホテルを出て奇岩の立ち並ぶ観光名所「橋杭岩」に立ち寄りました。大辺路はこのあたりは海岸線を辿るルートなので、熊野詣で大辺路を歩く旅人もこの姿を見たことでしょう。なお、この橋杭岩にも御多分に漏れず弘法大師の伝説が...その昔弘法大師が天邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、鶏の鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。弘法大師 ・・・
今回メンバー:IT夫妻、OZさん、INさん、SAITさん、KRさん、AKGさん+GTさん、自分KGさん+GTさんは熱中症気味なので前日入りして当日ループ橋で合流。2023/7/16自宅→集合場所→(R121,甲子道路)→白河(朝食)→(東北道,圏央道,東名)→ドーミーイン御殿場白河でINさんGLのリアブレーキが全く効かない。危険回避のため今回はここでリタイヤ。東北道、圏央道へ。圏央道・八王子JCT手前で大渋滞、灼熱地獄。東名に入りKRさんGLが立ち往生。BATTへたり。中井PAまでたどり着き、急遽自分がBATTを調達する役目に。一旦高速を下りて小田原でBATT購入、中井PAに戻りBATT装着。 ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、宮内庁が治定した、三重亀山市、能褒野王塚古墳と、伝説の白鳥塚古墳の探索に行ってきました!こんなに近所に2つの説の古墳があることを知りませんでしたが、白鳥塚古墳の方が、本物でないかな?なんて・・・。能褒野王塚古墳は、現在の亀山市能褒野町の近くにある、巨大な前方後円墳ですが、鈴鹿市にある白鳥塚古墳はちっぽけな、帆立貝式古墳なんで、天皇の皇子であるヤマトタケルが小さいお墓では、まずいと考えた宮内庁が、被葬者不明をいいことに、勝手に治定したのではないかと・・・。急激に弱って、亡くなったのですから、緊急にお墓が必要なので、物理的に考えても、小さいお墓が正解ではないかと・・・。改めて大阪の羽曳野市 ・・・