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チバアヒル(令和の馬笑)さん

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最近の御朱印めぐり...ランダム収集で一貫性なし(^^;


ツーリングやドライブで御朱印をよくいただいてます。

ただ、これが目的ではないので、御朱印帳を忘れて「あぁ、持ってくればよかった」と反省することもままあります。(^^;

 

栃木県鹿沼市にある古峰神社は、何度も来ているのにいつも御朱印帳を忘れてました。(笑)

古峰神社の御朱印デザインはものすごくたくさんあって、その日の当番の神官さんの気分で書くので、どの絵柄を書いてもらえるかは運しだいというとこでした。

 

この日は、例示展示されたどの見本にも無いデザインで、いわばスペシャルマーキングでした。♪

鋭い天狗の眼光が戦闘機のマーキングにも使えそうなくらいの迫力です。

古峰神社は、山岳信仰なので天狗がモチーフです。境内や社殿の中も天狗だらけ...

 

この神社のご神体は、日本武尊ということで、古事記・日本書記になぞらえた日本武尊の活躍の場面を描いた大きな日本画が広間にたくさん展示されていましたが、この絵の意味が分かった人は何人いるのでしょうね。きっと、ほとんどの観光客はわかんねーだろうなぁ...

ちなみにほとんどの絵の場面は古事記・日本書記のどの場面か理解できたのですが、私でも絵の意味がよく分からないものが2点ほどあったので、巫女さんを捕まえてそれについて解説を求めましたが、「神官さんに聞いてください」と逃げられました。(^^;

東京都品川区の品川区役所近くにある品川神社の御朱印

 

 

文治3年(1187年)に、源頼朝が房総半島の南端にある洲崎神社のご祭神を分祀して建立したものと言われています。

 

徳川家康が関ヶ原の戦いに向かう時、源頼朝の戦勝にあやかってここで戦勝祈願したところ、関ヶ原の勝利に結びついたことから、以後徳川家の庇護を受けてきたということで、社殿の紋章が「三つ葉葵」です。

何故か自由民権運動家で暗殺された板垣退助の墓もあります。

つづいて、東京のど真ん中、千代田区神田にある「神田明神」の御朱印です。

通称は神田明神ですが、正式には神田神社です。

 

神田明神の境内には、TV時代劇で有名な「銭形平次」の記念碑もあります。よく見ると隣に小さく子分「八五郎」の碑もありました。(笑)

 

銭形平次は、野村胡堂の小説なので、実在の人物ではありませんが、設定としては“神田明神下の御用聞き(岡っ引き)”という設定でしたね。

神田明神随神門

神田明神のもともとの祭神は、かの「平将門」でした。

承平5年(935年)に平将門の乱で打ち取られた平将門の首は京都の三条河原で晒されました。これは、日本最初のさらし首ともいわれています。

さらし首の処分は、地方の反乱を治める力が朝廷にあることを示すために、反逆者の最後を見せることが目的とも言われます。

しかしさらされた平将門の首は、はいつまでたっても腐ることなく、両眼は睨むように開いていたといいます。

そして、うなるように「私の胴体を返せ!頭をつないでもう一戦してやる!」と言っていたとも言います。

そんなある日、「平将門の首が叫び関東へ向けて飛び立つ」という怪奇が起き、その平将門の首が落ちたところが今の東京大手町で、平将門の祟りを恐れ、首塚を作って丁寧に供養したものが「平将門の首塚」として今も存在しています。

その後も江戸で疫病や天変地異が起きるので、平将門の祟りを供養するため建立されたのが、神田明神と言われています。

「明神」とは神社の中でも特に徳の高い神社を敬って呼ぶ呼び名です。

 

神田明神は、江戸城の鬼門(北東)にあることから江戸守護の神としても歴代徳川家からも崇められてきました。

 

明治維新になって、朝廷に逆らった...天皇家に逆らった...逆臣である平将門が祀られているのは問題だとして、平将門は祭神から外され「神田明神」から「神田神社」へと名前も変わってしまいましたが、敗戦による国家神道の廃止に合わせて、祭神に復帰しています。

 

試験の合格祈願や勝負の必勝祈願ではご利益あらたかともいわれていて、私の知人も子供の大学合格祈願に来て、某難関大学に合格しています。♪

 

最近では、TVドラマ「VIVANT」の影響か、参拝する人がまた増えているみたいですね。

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コメント(全20件)

有馬 仙さん
四国に住んでますゆえ、八十八ヶ寺を戯れで周ったことがあります。
記事を読んでいて、神社仏閣を訪ねるのをツーリングのテーマにするのも良しかなと感じました。(本来なら神仏にお参りに行くのにバイクを使う。が正解でしょうが)
スタンプラリーな気持ちだとバチが当たりそうなので、チバアヒルさんのように由来や歴史を勉強し気持ちを整えて行きたいです。
  • (1)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
現在の四国88カ所のお遍路は、実は信仰ではなくて観光スタンプラリーで始まったものです。(^^; 
戦後に四国仏教界の会長と南海電鉄の社長が太平洋戦争で疲弊した地域おこしとして始めたもので、実は弘法大師とは全く関係が無いイベントです。88カ所巡りは何となく弘法大師にこじつけていますが、88か所寺でそもそも真言宗以外がたくさんあります。
四国遍路は江戸時代以前から行われていましたが、それはお坊さんの修行として弘法大師になぞらえて四国のあちこちのお寺や神社(その頃は神仏習合で寺と神社の区分けなし)を托鉢遍路するもので、88カ所なんてものはありませんでした。また四国は貧しくて、庶民の間では口減らし(姥捨て)に遍路を真似した物乞いが行われていました。
明治になると、国家神道であいまいだった寺と神社が明確に区分され(神仏分離)、神社は国家管理に、それまで大名武家の庇護を受けていた多くの寺は自立させられて金銭的後ろ盾も弱くなり衰退していきます。
また明治となり近代国家としての社会制度が整えられていく中で、庶民の四国遍路そのものも時代に合わなくなって、廃れていきます。
戦後のマッカーサー指令で、国家神道が廃止されて、神社とお寺は宗教的に互角となりますが、戦争で身内や知り合いがなくなった人が多い時代背景と、戦争が終わり自由に旅行できる時代の到来という波の中で、四国仏教界と南海電鉄の遍路ツアーが盛り上がったのが昭和30-40年代です。
この頃は、どちらかというと戦争で亡くなった人の弔い的な意味での遍路でしたが、現在では宗教的意味より自分探しの遍路と、遍路の意味も時代で変化し続けています。
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くれないの?デブっ!(ター坊改め。略称「くれデブ」)さん
神田明神といえば、銭形平次^_^
それくらいのことしか、知りませんでした(^◇^;)
平将門を祀っているのなら、かなりのパワースポットでしょうね^_^
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
平将門は、徳川家康が江戸の守護神と認めていたくらいその霊力は強かったのでしょうね。
大学の合格祈願で、神田明神(平将門)から湯島天神(菅原道真)をまわって、本郷で東大の赤門を触ってくれば、難関合格間違いなしです。(^o^)
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Maxさん
こんにちは
御朱印って色々ですね。
こぶ園庭に入るとこのような和食提供している店があり最高ですよ。是非。
古峰が原の紅葉は好きですが、今年は行けませんでした。来年こそ行きたいと思います。
では、また 1701228403941M.jpg
  • (1)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
古峰神社のある古峰ヶ原のあたりは、無名ですがお蕎麦の美味しいエリアなので、ついお蕎麦屋さんに足が向いてしまいます(^^;
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たかぴーさん
銭形平次の歌にもありますね〜(^^)
「なんだ神田の明神下で〜〜〜ぇえ♪」

と、最近ではVIVANTでお参りしていましたね〜
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
VIVANT...見てる人は見てるんですね(^^)♪ 次作が楽しみです。

平次のライバル「三ノ輪の万七親分」もいましたね。
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おっぺけさん
神田明神は、毎年明けに会社でお参りに行ってましたが、
あまりのシステマチックな御祈祷の流れに、ご利益を感じなくなり
コロナもあって、行かなくなりました。

そしたら、仕事が忙しくなり・・・

やっぱり、他力本願よりも自己の努力ですね。
  • (1)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
会社の身内に成田山新勝寺に初詣したり、信心、贔屓にしている人がいたら、神田明神のお参りは絶対NGです。(>.<)

成田山新勝寺は、平将門の乱を鎮めるため、不動明王のご神体を大阪から運んできて創建されたお寺で、平将門を調伏して呪詛するため作られたものなので、いわば神田明神と成田山新勝寺は不倶戴天の敵対関係です。
なので、神田明神の氏子さんは絶対に成田山新勝寺にお参りしないし、新勝寺と縁の深い歌舞伎の成田屋(市川海老蔵の家系)も見ないそうです。
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toshiさん
その天狗のデザインカッコいいですねd(>_・ )
ステッカーにしてバイクに貼りたいです。

平将門の伝記は小学生の時に読んで心底ビビった記憶が有ります(;・`ω・´)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
このスペシャルマーキングの天狗は、なかなか気迫があって気に行ってます。(^^)♪
平将門の出自ははっきりしませんが、私の地元で生まれたという伝説と史跡があり、そのエリアの旧家一族は絶対に成田山新勝寺に行きませんし、近寄りもしません。
その一族は、家訓として代々「成田山新勝寺は平将門様を調伏する忌々しい寺」として忌み嫌っているそうです。
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パチ10(忍魂!!!!!! )さん
平将門って首斬られても生きてたの? 恐ろしいな~(汗)
関東まで飛んでいくって・・・怪物だね~(笑)

パチンコ勝てますように!!って必勝祈願したら罰が当たり
そうだな(爆)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
運やご利益というものは、軽々に使うものではない...とは、我が家の家訓です。
お金と一緒で浪費するといざと言うとき使えないので、大切にとっておくものだと...(^^)
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さすらいのライダーさん
こんばんは。

社殿の赤が青空に映えますねw

最早冬最盛期と化している北海道の灰色一色の世界から見ると、まるで極楽浄土のような風景です(*´∀`*)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
関東は、これからは乾燥した晴れの日が続きますね。♪
風は冷たくなりますが、まだまだバイクに乗れます。(^^)v
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KAWIさん
私は昨日でバイクは越冬期間に入りました。
もう少しだけ走りたかったのですが、天気予報で平地でも降雪予報が出たのでもう無理ですね。
関東地方はお天気が良くていいですね!
昨日ガレージでゼファーエンジン下に液漏れあとがあるのを発見。
エンジンオイルでは無く、クラッチレリーズからのフルード漏れみたいです。
防寒対策して修理作業に向かいます。
  • (1)
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
天気予報図を見ていると、日本海側は本格的な冬の天気になってきましたね。
でも、雪が降るとスキーができるので半分羨ましい気もします。(^^)
私も何度か経験しましたが、油圧クラッチは、古くなるとレリーズ側のオイルシールが抜けることが多いですね。ブレーキに比べるとストローク量も作動回数も多いし、エンジンの熱にいつも晒されているので、構造的には仕方ないのかもしれませんね。
寒い中でのシール交換は、指先がかじかんで大変です。頑張ってください。
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ゴリフさん
平将門ってマッチョゴリラみたいなイメージが強いですが、実際はただのお人好しの田舎のボンボンで、人の良さがアダとなって藤原玄明や興世王にそそのかされ引っ込みがつかなくなってしまった気の毒な人ですよね。
何だかんだでこうして後世でも慕われてるのもわかる気がしますね
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
平将門は、私の地元で出生したとの伝説があり、将門にちなんだ地名や出生を助けたお礼に姓を授けられた一族とか、その一族は家訓で絶対に成田山に行かないとか、成田山の宗派である真言宗徒とは結婚しないとか、いろいろリアルな話があります。(^^;
会津の人が、長州や薩摩の人と結婚しないとよく言いますが、似た話はたくさんあります。
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