雁坂トンネルで、ほったらかし温泉とほうとう鍋からの富士山見える峠で奥多摩に戻るるーとです
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夏までにはサーキット走行したかったのに、一向に作業が捗らないのでウェビックへの日記投稿を断ってまで頑張るも、余り進まなかった作業ですが、更に夏本番を迎えて灼熱地獄に何度も熱中症寸前に陥る危機に!ギリ駆け込みで未だ安いタイミングでスポットクーラーを手に入れられたので助かった!それでも夕方からだと言うのに作業開始1時間もすれば身体に冷気を当ててても体調がおかしくなって来て・・(;´Д`)ヤバイ! 作業の進捗状況も「牛歩の如く」ですが、ここへ来て何とかフレームにホイールを取り付けて「漸くエンジンを載せられた!」と云うことで、唯一、主にお仲間さん向けにInstagramに投稿してた写真流用にて現状 ・・・
先週の土曜日、ドルさんも走らせたらな、と鈴鹿スカイラインへ朝の7時に走りに行きました。が、やはり土日は自転車、登山客の車で走れたもんじゃありませんな。やはり平日限定ライダーだな。滋賀県へ抜けたついでに、以前キャンプ場でお話させてもらったライダーさん情報の林道を探しに行きましたが、頑丈なゲートに阻まれてました。キャンプしててもそうなんだけど、不法投棄超迷惑!!気を取り直してもう一箇所へ向かいます。ドルさん止めて国土地理院のマップとにらめっこしていたら地元の人に声を掛けられたので聞いてみると、「この先通り抜けは出来ないけどダートで、よく走りに来るの見るよ」との事。後日M子さんで来ましょうね。今度の ・・・
【概要】息子と二人で初めて往復1000Km以上走るロングツーリングにチャレンジ!今回のツーリングは琵琶湖一周(通称、ビワイチ)。さて、どんな旅になることやら。 琵琶湖一周といっても距離にすれば、およそ200Kmちょっと。1日で走れる距離であるが、折角、滋賀まで足を延ばすのであれば、少し時間をかけて観光もしたいということで、旅程は3泊4日にして、宿泊はホテル泊にすることにしようと思う。 ビワイチのスタートは近江大橋西詰を起点として反時計回りで琵琶湖を一周する予定。3日目は、大津京あたりから比叡山ドライブウェイに入り比叡山延暦寺の見学を入れる。その後、京都市内に宿を取り、4日目に自宅へ帰る予定でプ ・・・
各部オイル交換の作業の次はフロントブレーキパッドの確認!昨日からフロントスタンドが掛かっているので何も考えずに先ずはフロントホールを外して・・とシャフトを引き抜こうかと云うぐらいになって「果て、なんでフロントホイール外してるんだっけ?」小径ホイールなのでキャリパーが引っ掛かりますがそれは外しても同じなので、パッドピンを抜いてパッドを引き抜いたらホイール外さなくても外せますしなんで「ホイール外さないと!」と思ったんでしょうw2本のパッドピンを留めている極小スナップピンを外し(×2)ピンを引き抜き、カバーとパッドを取り外すとキャリパーがあっさり外れましたがなんか「パッドの端っこが欠けてる?」w
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・