残暑見舞い申し上げます。暑くて行くの迷いながらも行ってきました。滋賀県の余呉湖周辺の林道。前回、時間無くて引き返した林道の先を確かめたくて。今回は検証も色々。先ずはヤフオクでポチしたデグナーのサイドバックです。お泊まりツーリング、回を重ねる毎に収納名人になっていきます。笑笑キャンプ場のチェックインが13時からなのでゆっくり目に出発したのですが暑かったー。ランチに本惚犬さんご推薦の手作りサンドイッチを買いに木ノ本駅前のハトヤさんを目指します。
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ズサ-c⌒っ゚Д゚)っというより_( ┐ノε:)ノズコー ってなりました。ええ、コケましたとも 公道初ゴケせっかくショック変えておいしいマグロ丼も食べてのツーリングだったのですが山間部でトンネルを抜けたら・・・ゲリラ豪雨下りの90度くらい曲がるカーブで減速しすぎ?フロント荷重しすぎ?原因がよくわからないけど、水はけの悪いアスファルトだったみたいでそこでずりっと_( ┐ノε:)ノズコーってこけました。その瞬間はあ、ズレt(ズザザザザザザあー肩から行って肘ついて滑ってるなぁこけた衝撃で痛いけどプロテクターすげーあ、止まった、バイクはまだすべっていくんだー、お、止まったとかコケながら考えてました。 ・・・
今回は滋賀県の余呉湖の近くの林道をネットで見つけて行ってみる事にしました。その日の朝まで自走で行こうか軽トラに積んで行こうか迷いましたが、現地で身軽に走りたいので軽トラで行く事に。まずはGoogleマップで見つけた野営地に向かいます。元キャンプ場で森林公園の中にあるそうです。Googleナビで行ったのですが、目的地付近で騙され道が無い!国土地理院のマップでなんとか見つけて現場に着きました。が、看板にデカデカと「火気厳禁」と書いてあります。やはり山の中の野営ではなかなか焚き火は難しいですよね。あと、獣避けの柵を開けて入ってきたのですが、柵が有るということは獣が出るという事でこの場所は今回はパスし ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・