秋のドライブ、これまで名古屋から京都へと巡り、滋賀県にやって来ました。そこでは国宝・彦根城を見学し、長浜で一泊しました。 さて これからは 北陸の豪雪地帯へ向かいます。場合によっては白銀の世界を走れるかも、これは40年ぶり 不安もよぎるが楽しみです(2023.11.24)<写真=加賀・山中温泉と紅葉する鶴仙渓です>
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今回メンバー:IT夫妻、OZさん、INさん、SAITさん、KRさん、AKGさん+GTさん、自分KGさん+GTさんは熱中症気味なので前日入りして当日ループ橋で合流。2023/7/16自宅→集合場所→(R121,甲子道路)→白河(朝食)→(東北道,圏央道,東名)→ドーミーイン御殿場白河でINさんGLのリアブレーキが全く効かない。危険回避のため今回はここでリタイヤ。東北道、圏央道へ。圏央道・八王子JCT手前で大渋滞、灼熱地獄。東名に入りKRさんGLが立ち往生。BATTへたり。中井PAまでたどり着き、急遽自分がBATTを調達する役目に。一旦高速を下りて小田原でBATT購入、中井PAに戻りBATT装着。 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・
今日はバイクで富士山を一周、富士山スカイラインだから半周か、してきた。節電とかでエアコンを切っていたが、暑いのでバイクで逃げだした。夏のバイクは颯爽と走って爽快で涼しそうだと思うかもしれないがとんでもない。まずバイクと言う乗り物、エンジンにタイヤとシートにステアリングをつけたようなもので主体のエンジン及び関連部品はすべて高熱を発する。エンジン然り、ラジエター然り、排気系然り、トランスミッション然り、そんな上にシートをつけて座っているんだからラジエターから吹き上げる熱風を浴びながら火鉢を抱えているようなものだ。しかも着ているものは厚手のパンツに長袖シャツ、その上にプロテクター、そしてそれを隠すジ ・・・
1月ぶりに、伊豆の県道740,135,80,18,127,17,R1でした。GROMですので、気持ちノンビリと。 真鶴付近の裏道や、県道80号線を使って、熱海から修善寺に抜けるルートのワインディングを。堪能しました。 西伊豆スカイラインは、今日もパスでした。 ほぼ、午前中に帰宅できる所を、GROMのタイヤ交換をしようと、小田原のNAPsに寄りました。 受付の、人が居ないので、イライラ!!でもなんとか、タイヤ交換の待ち時間を確認出来ました。 やる気無いんじゃ無いのかなー??12時にバイクを預けたら、夕方までには交換できるとのこと!。 イライラは、頂点に達し、分かりました。””止めます””で、帰 ・・・