この場所に入って写真が撮れるかどうかはグレーゾーンです。 動画は FCOJ 針 Night 2023年10月
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Googleマップを眺めていたら、ハングライダー発車場ってのを山の中に見つけてルート検索したら南濃町側から行けそう。YouTubeで検索したら、ハングライダーを運ぶ車がゲートを開けて通ってる作品も発見。でも、入り口の詳細が分からない。さらに三重県側からも林道が続いてるっぽい、って事で昨日行ってきました。まずは員弁スポーツランドの側から始まってる林道に行くと、松茸山で収穫の期間通行止め。ならば、ナビの示す南濃町側から攻める事に。通り道なんで多度山の山頂へ続く道にも寄ってみます。小学校の遠足で登った微かな記憶があるんですけど、現在は車両通行止めでした。ここからはナビに導かれ発車場へ~・・・行けませ ・・・
地図を見ていて発見したのですが、岐阜県池田町から山越えをして福井県に抜けると池田町があるという偶然。前回はガソリンが心もとなくて途中で引き返してきたので、今回はお泊まりでリベンジしてきました。先ず岐阜の池田町の道の駅でパチリ。徳山ダムを目指します。今回は徳山ダムの手前のガソリンスタンドで満タンにしてから峠越えに挑むべく下調べして、そこでガソリンが空になるよう調整してます。予定通りガソリンスタンドに到着。「ハイオク現金で満タンで」「すいません、ウチ、ハイオク置いてないです」ですって。今どきあるんかい、そんなスタンド!?またひき返すのも嫌なので、同じ系列のスタンドだけど、ダメ元で揖斐高原を通って抜 ・・・
往路では見つけることがなかった「都祁の氷室」の復元氷室。復路で看板を発見し、見学させてもらいました!都祁(とね)と読みます!「日本書紀」が編纂されたのは養老4年(720)、この時代に大和国山辺郡都祁地方に氷室が存在したことは、長屋王邸宅跡から出土した和銅5年(712)の日付が入った氷室木簡によって確かめられています。「日本書紀」の記事は、事実を語ったものというよりも、都祁の氷室についての当時の伝承を記録したもの。都祁の氷室が応神天皇皇子の事績と結びつけられたことで、朝廷によってどれだけ重視されていたかが分かります。こんな史跡が、ポツンと、何気なくあるのが、奈良県ですね。