天皇への政治・権力の復権を掲げ、実行した大化の改新ですが、いろいろな段階があります! 乙巳の変(いっしのへん)は、飛鳥時代645年(乙巳の年)に中大兄皇子・中臣鎌足らが蘇我入鹿を宮中にて暗殺して蘇我氏(蘇我宗家)を滅ぼした政変。その後、中大兄皇子は体制を刷新し大化の改新と呼ばれる改革を断行。蘇我入鹿が殺された事件を「大化の改新」と言うことがあるが、厳密には乙巳の変に始まる一連の政治制度改革が大化の改新。乙巳の変は大化の改新の第一段階。(Wikiより)
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旅行支援クーポンを使って一泊しようと旅行サイトを見ると近畿地方のクーポンは既に売り切れ!隣県の岡山・鳥取はまだクーポンが残っていたんで、今回鳥取の浜村温泉へ一泊ツーリングに行ってきました。 予報では快晴だが、朝晩は冷え込むとのことで衣服に悩んだが、寒ければ雨合羽でも着ようと気温が上がる昼間に合わせて着込み、気温が少し上がった9時過ぎに出発 最初の休憩は福崎町写真の洋館は「妖怪ブックカフェ」ですが、コロナ禍で臨時休業中との看板が建物自体は説明看板によると旧郵便局とのことです。 福崎町は妖怪で町おこしを図っており、妖怪や妖怪ベンチも増え観光客もそこそこ来てました。柳田國男生家など公園内を散策して3 ・・・
往路では見つけることがなかった「都祁の氷室」の復元氷室。復路で看板を発見し、見学させてもらいました!都祁(とね)と読みます!「日本書紀」が編纂されたのは養老4年(720)、この時代に大和国山辺郡都祁地方に氷室が存在したことは、長屋王邸宅跡から出土した和銅5年(712)の日付が入った氷室木簡によって確かめられています。「日本書紀」の記事は、事実を語ったものというよりも、都祁の氷室についての当時の伝承を記録したもの。都祁の氷室が応神天皇皇子の事績と結びつけられたことで、朝廷によってどれだけ重視されていたかが分かります。こんな史跡が、ポツンと、何気なくあるのが、奈良県ですね。
帰りはルート開拓ということで初めての道を走る予定にしてました。が、いざその道へ入ろうとすると崩土により通行止めになっていました。致し方ない、元来た同じルートを逆方向に戻るしかない。ただそれだと再び藤坂を通ることに。帰りは別ルートだというので今回は諦められたのだけど、なにかわだかまりが残っている。こうなったらもう一回チャレンジするかと、また門を開く。せっかく温泉でスッキリしたのに、自分は馬鹿だよ・・・なんて己に酔いつつまずは方向看板まで進む。そこから見落としがなかったかさらに先に進む。すると前には気づかなかった二つめの方向看板を発見!デコボコ坂道に気を取られ足元ばかりみて道なりに進んでスルーして ・・・
娘の推しアイドルの誕生日が近いとかで(同い年らしいw)お祝いに何かしたいと言うので京都の「車折神社」と「芸能神社」へ参拝に行って来ました! 台風の接近が幸いし、いつもなら人も車も一杯の筈の嵐山嵯峨野周辺も近県ナンバーの観光客を殆ど見掛けず、予定を変更できなかった遠方からの観光客が多かった様で(それでも渡月橋から嵯峨野線にかけての通りは黒山の人だかり・・)車折神社の10数台しか停められない駐車場にも無事入ることが出来ました! 写真1枚目/お約束の交通安全ステッカー(と云ってもマグネット式の方で)写真2枚目/駐車場から表参道へ横から入る鳥居。写真3枚目/鳥居を潜った正面の酒樽