林道でハードにクラッチを使用しているので、クラッチワイヤーの調整代が無くなったので、クラッチレリーズの位置調整をします。 ブレーキペダルの軸になっているボルトの抜け止ベータピンを抜いて ボルトを抜きます。クラッチカバーカバーを外して クラッチカバーを外して プレッシャープレートのセンターのナットを緩めます。
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和歌山で利用したGATE80マエノリアトハクという宿夏に海水浴へ行った際に発見し気になっていました。 完全素泊まり、スタッフもおらずメールで送られてきたナンバーで入館中にはタブレットがあり、そこでチェックインができるシステム 名前を書いたりあーだこーだの手続きもなく、部屋へいける古そうな外観なのに中はめちゃくちゃキレイだった!まぁすぐに爆睡しましたが。 宿にアメニティとか一切ないですが、いつも持ち歩いてるので問題なしこの時は2980円という破格。どうやら年パス買うともっと安いらしい。何のサービスもないけどフラッと寄ってフラッと出発できる気楽な宿でした。 何より目の前がビーチまた夏に行こう
知り合いから聞いていた激安素泊まり宿に泊まってみました。GATE80マエノリアトハクという2023年に開業した会員制の素泊まり宿で現在は大阪市長居・和歌山県湯浅・京都府舞鶴・兵庫県香住の4か所が営業中で、2024年春に伊勢志摩!夏ごろには鳥取県米子にもオープンするようです。今回は年末に舞鶴に泊まってきました。海も近く釣り客の方も数名いらして利用用途は多々ありだなと思いました。宿のほうは完全素泊まりでタオル、石鹸、シャンプー等は各自持参(面倒くさいですが価格が激安ですので、、、当方は旅行用を持参しました)しかしシャワー完備、リネンも新品、布団も快適でゆっくり寝ることが出来ました。大阪市長居のみバ ・・・
熊野古道大辺路を巡る旅の後編です。前夜は少し飲みすぎましたが、たっぷり寝て元気回復して、熊野古道ラストディを走ります。A地点まずは、串本のホテルを出て奇岩の立ち並ぶ観光名所「橋杭岩」に立ち寄りました。大辺路はこのあたりは海岸線を辿るルートなので、熊野詣で大辺路を歩く旅人もこの姿を見たことでしょう。なお、この橋杭岩にも御多分に漏れず弘法大師の伝説が...その昔弘法大師が天邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、鶏の鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。弘法大師 ・・・
先週 ろう付け修理したシフトペダル車体に取り付けて、実際に使用出来るのか確認しようとボルトを通して 仮締めしたら問題なし! 素人溶接で修理したシフトペダルは、1週間問題無く通勤で使用出来たので、林道での破損時の交換部品として使えると認識した。 ろう付けしたシフトペダルも 林道行く前に強度を確認しておかないと いざって時に使えなくて困るのは 問題だ! と言うことで、車体に取り付けようとしたら、ろう付けが若干ズレていたので、すんなり入らない。シフトペダルのクランプ部のスリットに、マイナスドライバーを差し込み 少し広げようとした瞬間ろう付けした部品が割れて、外れました。 ろう付けのろうが 割れた部分 ・・・
夏までにはサーキット走行したかったのに、一向に作業が捗らないのでウェビックへの日記投稿を断ってまで頑張るも、余り進まなかった作業ですが、更に夏本番を迎えて灼熱地獄に何度も熱中症寸前に陥る危機に!ギリ駆け込みで未だ安いタイミングでスポットクーラーを手に入れられたので助かった!それでも夕方からだと言うのに作業開始1時間もすれば身体に冷気を当ててても体調がおかしくなって来て・・(;´Д`)ヤバイ! 作業の進捗状況も「牛歩の如く」ですが、ここへ来て何とかフレームにホイールを取り付けて「漸くエンジンを載せられた!」と云うことで、唯一、主にお仲間さん向けにInstagramに投稿してた写真流用にて現状 ・・・
GW期間中=田植えの時期、所によって田植えの時期は違いますが、私の住む辺りは昔からGWが田植えの時期(兼業農家で都合が良いし)なので二十歳前後の頃GW期間中に女の子と遊びに行った帰りの車を横目で見ながら苗箱を洗うのが嫌で嫌でw最近は自分では作らずに大規模農業をしてる専業の方に作ってもらっている家も多いのに、未だトラクターや田植え機まで買い替えてまで米を作っていると云う・・(しかも極僅かな面積の田んぼ)歳を取って殆ど人任せ(私や親戚)なのに、何を言っても辞める気が無い親父にはホトホト困ってますが、それに加えて「してもしなくても大して変わらない」のに大変な作業をしないと気が済まない性分なので、重労 ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・