さて、ぱいせん号が一通り整備が終わりましたので、人間がそれに慣れなければならないため習熟走行へ。今回は埼玉県唯一の村、東秩父村へとやってまいりました。嵐山小川ICから県道11号線を使い、自宅から1時間程度で入村。休憩がてら道の駅にてコーヒー休憩しました。というか昔は県道沿いに道の駅無かったっけ?もっと規模が小さくて直売所と自販機しかなく寂しい感じの…今はバスターミナルや観光案内所とかうどん屋とかラーメン屋があって活気があってよいですね。
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日曜、朝から気温も上昇中!バイク日和、これは乗るしか無いと モトラ号も連れ出さなきゃなぁ~と思い9時~出かけて新城方面目指して走る涼風の里(茅葺き屋根目印)でちょっと休憩(地元のおばちゃん達が毎週土日曜に店を開き手頃な価格で食品、地元野菜等販売してるみたい・・・店内飲食も可) 結構年配のお客さんが店に寄っているようだ! それから、※田舎レストランすがもり(廃校レストラン)前を通り県道35号線で走行※あれっ! 車が満車だぁ!! 長く土砂災害でいつも迂回してたが通行可能! 山の中に入って又、休憩(50ccエンジン悲鳴気味なのでたまには、休ませてぇ~・・・www) お地蔵さんが🟥い衣装でいい感じ(^ ・・・
前回、「滸我」芳流閣の決闘で屋根から落ちて行徳に流れついた犬塚信乃と犬飼現八が、行徳の旅籠「古那屋」の主人犬田文五兵衛に助けられ、その息子犬田小文吾とも出会い、「孝」「信」「悌」の玉を持つ3犬士が出会ったところまでお話ししました。 犬江親兵衛の登場旅籠「古那屋」にいったん身を寄せた犬塚信乃ですが、「古那屋」の主人犬田文五兵衛の息子で八犬士のひとりである犬田小文吾と出会ったのもつかの間、小文吾の妹ぬいの夫房八は、「滸我」(古河)芳流閣から逃げ出した罪人犬塚信乃を引き渡せと犬田小文吾に迫りました。小文吾と房八は、切り合いとなり、切り合いの中で房八、ぬい、その子供大八は、死んでしまいます。しかし、こ ・・・
秋を感じるこの時期のツーリング秋といえば自然!自然といえば秩父!!秩父といえば武甲山!!! そんなわけで武甲山見に秩父まで出発秩父は秩父三十四箇所参りや、道の駅スタンプラリー、渓流釣りなどでよくよく行ってるから庭みたいなもんだと そう思ってる自分がいたのだが訪れる時期が変われば景色も変わる!いつ来たって新鮮に感じるやっぱ秩父いいねーそんでもって武甲山はやっぱカッコいい!なんだろ?あの山は今まで見た山の中でもずば抜けて好き 武甲山の近くに変なトンネルがあるらしく寄ってみると何やらどっかのテーマパークにあるアトラクションの入り口みたいなトンネルその名も『寄国土トンネル』 読めないよ!! 調べたら『 ・・・
○高崎は37度の予報を頭に入れてのスタートとなる2日目、きあいで乗り切ることできるかな? ○朝5時30分、草津朝散歩、西の河原公園○8時、ホテル朝食、軽めに食べます移動時間を調べてみたラ、意外なことが分かった。分かるかな。 (1日目)下道のみ古河ー十日町、3時30分ー8時4時間30分十日町ー草津、8時30分ー15時6時間30分11時間360km(2日目)高速含む草津ー湯沢、8時30分ー14時30分6時間湯沢ー古河、14時30分ー18時40分4時間10分10時間10分355km1日目はこちらhttps://imp.webike.net/diary/0245843/T/
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・