ゴールデンウィークの前半、仲間6台で日帰りツーリング 目的地の1つ、福島市にある中華料理,西華に昼食を食べに。 (肉丼の大盛) 仲間の一人も同じ物を注文し完食しましたが、自分は残してしまった。 その後、土湯峠の道の駅で 食後のソフトクリームを みんなで食べ、磐梯熱海駅前の足湯で休憩しての帰宅でした。
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2023/11/05自宅→集合場所→(R118,R401.博士トンネル,R400,田島経由)→道の駅きらら289→(R289)→只見.深沢温泉・むら湯只見.深沢温泉・むら湯→(R289)→味付マトンケバブカフェ(昼食)→(R252)→東北電力奥会津水力館~みお里MIORI~→(R252,R49)→自宅今回のメンバーは、ITさん、OZさん、INさん、自分。当初は田島経由で木賊温泉に行く計画だったが、昨日のミーティングで只見.深沢温泉・むら湯に変更。急遽、博士トンネルを通って田島経由で向かう。途中の道の駅きらら289でトイレ休憩、小休憩後に只見.深沢温泉・むら湯へ。むら湯では熱めの温泉で長湯はでき ・・・
今日は、会社のメンバーと阿蘇方面にツーリングの予定だったんですが、前日に最終的なお誘いが無かった事と午後からの用事で今回のツーリングは確認を取りませんでした。しかしながら、忍千のガソリンを入れ替えたかったので朝出て昼過ぎに戻って来れる場所!生月島かな?と思ったんですが、片道約3時間ほど。阿蘇とそこまで大きく変わらず。ここは無しという事で。佐賀のある鷹島!ここは、何回か行ってるのですが、鷹島大橋止まりが殆ど。ここに決定!片道約2時間ほど。朝6時起き。忍千出すのに、車を出して、wrを出して、忍千がやっと出せます。出し終わったら、wrを元に戻して、ワイヤーロック、チェーンロック、セキュリティをセット ・・・
さて、最終日は大村市から福岡までジワジワ移動、バイク用品店で雨対策のブーツカバー、レイングローブ(濡れても大丈夫なモノなら良い)を調達してから時間が有れば太宰府。のつもりでしたが、佐賀市街からの脱出に時間が取られて全然無理でした。レインスーツだけは持参していたので手足が揃えば問題無し。今回のツーリングでお城巡り新規12か所。過去に訪問済みの柳川城の御城印入手。4日目が過去のツーリングの中で体力的に一番限界近い感じでしたので、以降のツーリングの参考に記憶(反省)しておきます。高速乗ってから、ご当地の食事を堪能して無いと気付いたので、申し訳程度ですがサービスエリアで佐世保バーガーをいただきました。 ・・・
暑い!この時期はほんとに暑くて息するだけで苦しい 涼しい場所を求めて高原巡りでもしようかと比較的に近場にある福島県を調べてたら、とある町に斎藤一のお墓があるらしいじゃないですか!るろうに剣心世代の身としては行くっきゃないでしょ 会津若松付近にある七日町昭和レトロチックな通りが有名らしく赤べこやら新撰組やらとるろうに剣心に馴染みのある名前が町中にちらほら 巡回バスなんかもレトロな感じで確か、大人600円で乗り放題とかお墓はメイン通り沿いにある少し小さめなお寺にありました。昔の物が今現代に残ってるあの感じたまんないっすねー そのあとはあだたら高原に行き、ひまわりを堪能しつつダメ押しで那須高原ま ・・・
土曜日に病院2か所いって午前中が埋まった 午後から部屋の掃除しようと思ったが、明日は高校からのダチとツーリングにいくのでツーリングプランに申し込んだ、2日間あるし、走りに行くか!とすべてを投げ出してPS250にETCカードをぶっ挿して出発 二日間2000円はいいけどちょっと範囲が狭いのよねぇ名二環乗れないのもイマイチ 名古屋→郡上八幡までサクッと高速で移動道の駅めいほうでフランクフルト他を食べるウマウマ 写真を撮りたかったがバイク置き場のところの銅像の前でずーーーーーーーーと電話してるおっさんがおって取るの無理ィってなってあきらめてこの角度 戻って下道を南下、256号でモネの池を横目に山県、岐 ・・・
師崎の朝市に間に合うようにでようとしたが結局朝くだぐだになって出発が8時過ぎになってしまった。 渋滞に巻き込まれながら半田を下っていると、警察のバスがいるなぁ・・・・ STOP止まれの旗を持って警察官さんがでてきた左に方向指示器だして停車 なんー? 原付じゃないからいいけど40km/hの道だから押さえて走ってねぇ とのこと 正面からみたらズーマーに見えるもんねぇPS250(;´・ω・) 無事朝市について軽くみて買い物、クーラーボックスに保冷剤入れて積んできてます!なお、古いクーラーボックスなので保冷力はイマイチでした(帰宅時保冷剤とけてた) スマホを見ると友達も今日はお休みとのことで半田でお昼 ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・