関西は台風一過で朝からお天気!今日は岐阜県の道の駅、パレットピアおおのを目指してバイクを走らせてきました!京都市内から、途中越えを越えて、琵琶湖大橋渡って湖東側を北上し、彦根から高速に乗って向かおうと思ったんですけど、気が変わって米原から乗ろうと思い、道の駅近江母の郷へ。
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9月11日・・・予報が晴れの日曜日、前日まで行き先が決まらず、とりあえず5時に起床。 エンジンに火を入れ跨った瞬間・・・久しぶりに303号線を走ろうと決め出発。 高速休日割で安八ICまで、そこから揖斐川沿いを走行しお気に入りの303号線に合流。 山肌に薄ら霧が立ちこめ初秋を感じながら『Vツインサウンド』を響かせ高速コーナーを次々と駆け抜ける。 303号線を走行中に栃ノ木峠(北国街道)を抜けて大野町⇒九頭竜ダムを経由し帰路と心が決まる・・・が木之本から365号線へ入ると福井側災害通行止めとの標識が・・・余呉湖を一周し、とりあえず8号線へ出る事にする。 8号線を走行中「しおかぜライン」の看板に引き ・・・
久しぶりにラーメン目的のツーリング。 こちらのお店も滋賀県ではかなりの有名店のようです。開店20分後くらいに訪れましたがすでに満席でした。 店員さんの応対はとても丁寧でした。卓上の小物類はカフェの趣でジャスミンティーもさわやかでよく冷えていて大変おいしかったです。 和風鶏 醤油らーめん(味玉トッピング)を注文。スープはかなり好みです。醤油の塩加減がかなり絶妙で最初の一口こそ少し薄口かな?と感じたものの、食べ進めても飽きることなく最後まで飲み干せました。麺は自家製とのことで噛めばしっかりと味わいがあります。硬さはもう少し固いほうが好みでした。チャーシューは薄切りで鳥と豚の2種類。好みのトロトロチ ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・