今回は木曽路の宿場を巡る 気ままなバイク一人旅、これまで信州塩尻から中山道を走り、木曽三大宿場の奈良井宿と 妻籠宿を見学しました。 その後、旧中山道で馬籠峠を越えると そこは木曽11宿場の最南端に位置する馬籠宿(岐阜県)です。古い町並みを見学した後は、駒ヶ根(長野県)の宿へ向かいます。<写真=岐阜県馬籠宿・陣場上展望台にて>(ツーリング期間=2018.10.20~10.23)
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日曜日、少し出遅れるも朝七時過ぎにガレージ出発!どのルートにしようか?鈴鹿スカイラインから三重に抜けまた鞍掛峠で滋賀に戻ってくるルートにしようか?・・でももう暑い!やっぱり「そのまま北上しよう・・」本日の目的地は彦根方面なので手っ取り早くいつもの様に琵琶湖沿いを北上! ・・まだ九時前なのに、もう彦根城付近に到達!「シマッタ!早く着き過ぎた・・」まだお目当ての目的地は開いてない時間だったw 仕方が無いので、そのまま北上し暑いので涼を求め県を越え長いトンネルの中で寒いぐらい涼み到着したのは岐阜県の道の駅「星のふる里ふじはし」お腹が空いていたので楽しみにしていたお蕎麦屋さん「なんか店名が変わってる? ・・・
GGさんの日記を拝見し、ちょうど一年前の昨年11月末に雪が降る前に鳥越峠越えに行こうと滋賀県側の入り口まで行ってみたら「工事期間中につき通行止め!」だったのを思い起こし、今年こそは!と思いつつも、気が付けば昨年と同じ11月になってました!w 天気予報では風が出るとか寒そうなことを言ってたけど、いざ出発してみれば、曇っており琵琶湖大橋付近ではシールドに霧雨的なのが落ちて来ましたが、琵琶湖は凪の状態で風も無く助かりました!鳥越峠の滋賀県側の入り口に着く頃には雲も晴れ、心配した気温の方も夏グローブでも大丈夫な位! 昨年と同じ漁協事務所前の橋で写真を撮り、無念にも引き返した林道の入り口でも写真撮影!w ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・
2022/07/13 PM1600年関ヶ原で、西軍の敗戦が決し、島津勢は退却するにあたり、敵中突破し、豊久はこの戦闘において殿軍を務めたが、東軍の追撃は激しく島津隊も多数の犠牲を出した。井伊直政勢が迫り、鉄砲を一度放って、あとは乱戦。豊久は義弘の身代わり(捨て奸)となって、付き従う中村源助・上原貞右衛門・冨山庄太夫ら13騎と大軍の中へ駆け入った。薩藩旧記雑録には、「鉄砲で井伊直政を落馬させ、東軍の追討を撃退。島津豊久、大量に出血」という内容が記されている。一説によると、豊久は重傷を負いながらも義弘を9km近く追いかけ、瑠璃光寺の住職たちや村長が介抱したが、上石津の樫原あたりで死亡し、荼毘に付さ ・・・
昨日、彦根城の渋滞を抜けて136.9℃に達した油温がようやく120℃台に下がった頃に悪友のSP君から電話「明日走りに行かない?」とのお誘いに「今夜こそ寝れるかな?」w頑張って?夜中の1時には寝たものの三時過ぎにトイレに立った後はベッドに横になるも、これ「寝てる?」のか、いや「起きてる?」気が付いたら1時間半ぐらい経ってたので「半分寝てた?」wまたトイレに行って六時になった頃に悪友SP君から確認の電話「大丈夫と言えば大丈夫」なのですが、取り敢えず寝ておけと悪友SP君だけで海津大崎の桜を見に行ってもらうことになって少し寝れたら後で落ち合おうと言う事で、また横になりますがこの「いまいちの体調は?」と ・・・