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懐かしのダットサンに再会!江戸東京博物館へ


先日は何もすることがなく 暇を持て余していました。
では、電車に乗って東京見物でもしようか。

そこで、江戸時代と昭和が再現されている「江戸東京博物館」へ行ってみることにしました。

場所はJR両国駅前で、「両国国技館」に隣接しています。
都内へ行くには電車が便利、そこで総武線を利用します。

そして両国駅前に降り立つと、巨大な建物が見えてきました。
これが「江戸東京博物館」です。

建設の目的は「江戸東京の歴史と文化を振り返り、未来の都市と生活を考える場とするため」らしい。
何を言っているのか、具体的によく分かりませんが。

この建物は、バブル絶頂期の昭和55年ころから建設に向け動き出したようです。
年金収入などでお金が余り、サンピアなど国も都も建設ラッシュの時代でした。

高さ62mの巨大な高床式の構造です。
金をふんだんに使ったらしく、ゆったりしたスペースを確保しています。

しかし、無駄な造りが多く維持費も巨大らしい。
昨今 税収が減り維持が困難らしく、民間へ払い下げるという話も出ました。
だが、名乗りを上げる企業はないらしい。

では、巨大なエスカレータで中へ入ってみます。

これは当時の「日本橋」を再現したものです。
日本橋が造られたのは、414年も昔のことです。

翌年、ここが各街道の起点に定められました。
この辺りには、魚河岸・米河岸・木材河岸などが造られ大変な賑わいだったらしい。

さあっ この橋を渡って江戸時代へ行きます。

ここからは「江戸ゾーン」です。
江戸の街並みや城、古地図や浮世絵などが数多く展示されています。

これは「江戸城」の模型です。
家康さんは江戸に幕府を開くと、秀吉さん系の職人・商人は排除しました。

そこで戦国時代から取引のある「近江・京・堺」などの商人たちを江戸に呼びました。
集まった者たちへは土地を分け与えたということです。

そして江戸の町が出来上がりました。
その後、彼らは土地を売って故郷へ帰る者、その土地で商売をする者などいろいろだったらしい。

これは寛永の「大名屋敷」です。
大手門の前に建てられた福井藩主の上屋敷です。

広大な敷地に、豪壮な建物が見られます。
これぞ権力の象徴です。

これは寛永の「町人町」です。
日本橋近くの町人地で、寛永の大名屋敷とほぼ同じ面積だったらしい。

そこに小屋のような家が建ち並んでいます。
身分の違いが明らかです。

これは「芝居小屋」です。
江戸時代の代表的な「中村座」の歌舞伎小屋です。

ここでは庶民も大名も日常を忘れて、歌舞伎の世界に心を遊ばせたといいます。

隅田川の両国橋付近は、川開きなどで人が集まる盛り場となりました。

そこでは見世物や芝居小屋、寿司・天ぷらの屋台、スイカ売りや朝顔売りなどで賑わいました。
夏には、花火見物の屋形船が行き交ったといいます。

これは「神田祭り」の様子を再現したものです。
華やかで壮大な行列が続いています。

山車(だし)は3台、神輿(みこし)は1基で、威勢よく町内を練り歩いたということです。

これは江戸時代の巨大な呉服店「三井越後屋」です。
創始者は、伊勢松屋の出身「三井高利」さんです。

彼は京都に呉服の仕入店を設け、江戸に販売店を開いたといいます。

それまでの商法は、商人がお得意先へ出向いて販売。代金は利息をつけての「後払い方式」でした。
ところが三井さんは、店頭販売で代金は利息なしの「現金払い方式」を取りました。

いよいよ独裁政治の江戸幕府が倒され、文明開化の時代に入りました。
明治政府の主導で火災に強い洋風建築の建設が進められました。

銀座煉瓦街(ぎんざれんががい)や、鹿鳴館(ろくめいかん)が落成し、外国人を招いた舞踏会が盛んに開催されるようになりました。
人々の暮らしにも「ザンギリ頭」や洋食文化などが、徐々に浸透したということです。

そして時代は昭和に変わります。
高度成長期までの住居は木造住宅が一般的。

これは昭和29年頃の様子です。
家電がまだ普及していなく、テレビも冷蔵庫もなく、掃除はほうきです。

私が生まれたのは昭和26年、田舎の農家で電気がなくランプ生活をしていました。
燃料は薪と炭、水はつるべ井戸、風呂は五右衛門風呂、夏は蚊帳、冬は湯たんぽでした。

これは昭和37年頃の一般家庭の部屋です。
私は小学校6年生でした。

ようやく家電が普及し始め、文化的な生活が始まりました。
1950年の後半からは高度経済成長期です。

「神武景気」といわれ、豊かさの象徴は「三種の神器」・・・白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫です。
660年前、日本国(初代・神武天皇)が始まって以来の好景気でした。

昭和40年頃の学校給食の例です。

コッペパン中心から、食生活の向上に伴いメニューが豊富になったようです。

昭和55年、任天堂から「ゲーム&ウォッチ」が発売されました。
簡単に家庭でゲームが楽しめるとあって、一気に普及しました。
私の子供も夢中で遊んでいました。

昭和58年には「ファミコン」が発売され、おもちゃ屋さんには長い行列が出来ました。
ゲームソフトも次々発売されます。
ドンキーコング・ポパイ・マリオ・ゼルダの伝説・ドラクエ・・・
またまた私の子供たちはゲームに取りつかれます。

私は喫茶店の「スペースインベーダー」で遊んでいました。

これは昭和23年の「コニカ」です。

私が使っていたのは「アイレス写真機製造所」の35mm判2眼レフカメラでした。
リバーサルフィルムは高いので、モノクロのネガフィルムです。

その後はキャノン一眼レフFTb、キャノンF1、キャノンEOSと、カメラ愛好家です。

ここからは大正から昭和の自動車や資料などが見られます。

当日は日曜日なのに、観客はまばらでゆっくり見てまわれます。
また、時間により係りの女性の説明が聞けます。

これは昭和23年当時の「ガソリン給油機」です
昔、近所に このような形の給油機がありました。

行くとおばちゃんが「何リットル入れますか?」と、聞いてきます。
すると、クランクレバーを手動で回転させ、地下タンクからガソリンを吸い上げます。
ガソリンがガラス容器の中へ溜まり、ガラス管のメモリで容量を確認します。
おばちゃんの右腕はキン肉マンのようでした。

昭和6年、フォードA型セダンのタクシーです。
昭和初期の料金は、市内一律「1円」なので、「円タク」と呼ばれていました。

当時、タクシーの44%はフォード、27%がGMのシボレーです。
フォードの日本工場では、右ハンドルの車を生産していたといいます。

これは昭和35年型 ダットサントラックG222型です。
荷台のサイドに「自家用」と書かれています。車検の際、書いてないと不合格です。

私の親は農家でこの車は、プリンスのトラックに次いで2台目の車でした。
当時はほとんど砂利のデコボコ道でした。
プリンスはサスペンションが硬く、ドアにつかまっていないと跳ねて天井に頭をぶつけます。
ダットサンはしなやかな乗り心地で悪路も難なく走ります。

私は小学校4年生、シートにざぶとんを敷き運転の練習です。
畑の道で毎日走らせ、とうとう大人顔負けの腕前になりました。
そのころから車の魅力に取りつかれ、車の道へと入ってゆきました。

昭和30年、日本の通産省は「国民車構想」を提案しました。
ドイツのヒットラーが国民に安い車を提供するという「国民車構想」のパクりかな?

日本の条件は、
価格は25万円以下・4人乗り・時速100km以上・リッター30km以上・10万km以上走れる車と厳しいもの。

メーカー各社は「実現不可能」だといいます。
ところが、軽自動車の開発に取り組んでいた富士重工は「スバル360」を完成させました。
価格は35万でしたが、軽自動車の市場が確立されました。
その後、スズキスズライト・ダイハツフェロー・三菱ミニカなどが発売されました。

マイカー需要が喚起され、各社小型大衆車を続々発売します。
トヨタはパブリカを36万円で発売。キャッチフレーズは「1000ドルカー」です。
当時は円安で1ドル=360円、海外旅行はブルジョワだけでした。

その後、マツダファミリア、ダイハツベルリーナなどで、マイカーブームの到来です。
そして昭和40年代には、サニー・カローラの発売でバブル絶頂期へと突き進みます。
まだたくさん話したいが、長くなるのでまたの機会にします。

これは東京麦酒株式会社の「東京ビール」です。

元は「桜田麦酒」で、イギリス風のビールを製造していました。
ところが、イギリス風は人気がなく売れなかったようです。

そこで「東京麦酒」と改名し、人々の嗜好に合わせドイツ風ビールの製造に切り替えました。
商売は時代と共に変わります。わらじや下駄をたくさん作っても売れません。

これは江戸後期、寿司の屋台です。
赤酢を使用していたので米は赤く見えます。
一貫が今より大きく、ネタは江戸前です。

今回はぶらり東京の博物館を見物をしてきました。
江戸から昭和への歴史と江戸っ子の人情がいっぱい詰まった江戸東京博物館でした。
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コメント(全27件)

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Maxさん
こんばんは
C-20、わが町で、普通に走っています。確か、バイクやで、かなり古いバイクも・・・マニア向けですねー。
ミニチアジオラマは、圧巻ですねー
では、また
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杉さん
Maxさん どうも
ダットサンが走っているとは、それはすごい!
先日、家の前の国道でスバル360が煙を吐いて走っていました。
レストアしたのかピカピカ新車同様でした。驚いたのはホワイトタイヤでした。
昔、デラックス車はホワイトタイヤ、スタンダード車はブラックタイヤでした。
現在はブラックタイヤのみですので、ホワイトタイヤは新鮮に感じられました。
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くれないの?デブっ!(ター坊改め。略称「くれデブ」)さん
杉さん、こんにちは。江戸東京博物館、流石は首都・TOKYO(^.^)文化・芸術・風俗・技術etc.様々な角度から東京の変遷を見せてくれますね〜(^.^)アメ車が世界を席巻していた時代、日本人は黙々と技術を磨いていたのですね。僅か6〜70年前の話(^.^)時間の流れを感じます(^.^)
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杉さん
ター坊さん こんにちは
資料や展示品の収集に都の担当者はかなり苦労されたようです。
江戸から昭和初期まで詳しく解説していますので機会がありましたら是非お運びください。
おっしゃる通り、鎖国などで日本の文化は遅れていたんですね。
でも知恵と努力で世界一の自動車大国になったとは立派です。私も日本人に生まれ誇りに思います。
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たいゾーさん
杉さん、こんばんは。
これはスゴイ。
こんな博物館があるんですね。
これは、テンション上がりますね。(^O^)/

今度、東京へ行った際は立ち寄ってみます。
オイラ的にはスカイツリーよりこっちですね。(笑)
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きんすぱさん
こんばんはです。

つい先日近く(東京スカイツリー)まで行ったのに全然気付きませんでした。
気付いても開館時間ではなかったかも(^^;

とても面白そうですね!
子供を連れて訪れてみたいです。
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ゴリフさん
5年くらい前に大江戸線乗り換えで毎日ここを通ってましたが、
暇なときに寄ってみようと思いながら結局行く機会がありませんでした。
こういうバブルの遺産も、このご時勢いつ姿を消すかわからないので
行けるうちに行っておかないとですね。
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サラリーマン太郎さん
いいですなぁ~
個人的にはガソリン給油機が気になります!
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V-Striderさん
こんばんは~!

今回は、ジオラマの昭和といった感じですね。
大分にも昭和の町として豊後高田がちょっとしたブームです。
生活と心の豊かさと貧しさの関係を考えさせる施設だと個人的に思いました。
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ジッポーさん
杉さん こんばんは。

行こう行こうと思っていた博物館です。
C-14の給食は懐かしいです。
でも・・・ちょっと違う。
「フォーク」じゃなく先割れスプーン、
食器は全てアルマイトで独特の変な匂いがしました。

ソフト麺カレーかけは一番の好物でしたね。
次いでコッペパンを揚げてきな粉とグラニュー糖をまぶした「揚げパン」。
懐かしいですね。
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てづ@GPZ900Rさん
杉さん、こんばんは~
江戸城、城内、城下町の模型や日本橋
良いですね〜♪行きたいなぁ~
バイクでは無理ですね〜w
やっぱりここは普通に電車で行く所かな?w
都内バイクで走る自信無いですもんw
冬に観光で行きます!あずさでw
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杉さん
たいゾーさん こんばんは
バブル期に建てたスペースたっぷりで贅沢な建物が迎えてくれますよ。
そして宇宙ステーションに迷い込んだような巨大なエスカレーターに運ばれ展示会場へと向かいます。
たどり着いたところは、江戸の世界です。日本橋を渡ると、江戸城や町人町の壮大なジオラマが現れます。
建物は勿論、通行人の姿・表情・着物まで精密に作られ当時の雰囲気が伝わってきます。
まさにこれは芸術品、遠近感もあり写真愛好家には格好の被写体です。是非一度ご覧ください。
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杉さん
きんすぱさん こんばんは
スカイツリーへ行かれたのですね。
そこから江戸東京博物館までは約3km位でしょうかね。
江戸ゾーンには、大名のお姫様が乗ったという駕籠があります。繊細な装飾が施され立派なものです。
隣には津山の大名が江戸を訪れる際に使ったという駕籠が復元されていました。前後2人ずつ計4人で担ぐ豪華な駕籠です。
実際に乗って写真も撮れますので、大名気分が味わえますよ。次回は立ち寄ってみて下さい。
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杉さん
ゴリフさん こんばんは
バブル絶頂期でしたものね。高度経済成長期で税収はうなぎ上り、年金も支払いは少なく莫大な金額が集まりウハウハの時代。
もう建築ラッシュ、高速道路もアクアラインも、新幹線もサンピアなどの厚生福祉関係も一気に近代的になりましたね。
それがリーマンショックで一気に景気低迷で年金の支払いも危惧される始末。
江戸東京博物館も、バブルで浮かれているころコスト度外視で建てたようで、今となっては維持費も巨額らしいです。
都が売却する前に一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
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SARAH沙羅(代)さん
こんばんわっ☆ミ
沙羅です^^
懐かしいものがたくさんです~
でもあたしが知らないものもたくさん^^
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杉さん
サラリーマン太郎さん こんばんは
同館です。私も赤いガソリン給油機を見まして子供のころを思い出しました。
昭和33年ころ、親が農家でしたのでプリンスのトラックに野菜を積んで木更津の青果市場へ行きました。当時私は7歳ですが車が大好きでしたので、助手席に乗って行きました。
途中、小さなスタンドで給油します。そこのおばちゃんが給油機のハンドルをクルクル回してガソリンを吸い上げていました。
当時リッター40円位でしたね。そして市場の帰り、蕎麦屋で食べたざるそばのおいしさは今でも忘れられない父との思い出です。
写真はそのころのトラックです。 1490108654324M.jpg
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杉さん
ストライダーさん こんばんは
豊後高田はテレビの旅番組で拝見したことがあります。確かレトロなボンネットが街の中を走っていたような。
そんな昔ながらの街並みを見て歩くのもどこか癒されますね。いつかは訪れたい町です。大分には日本一の別府温泉がありますものね。
ストライダーさんは学生時代、江戸東京博物館には立ち寄らなかったようですね。機会がありましたらご覧になってみてはいかがでしょうか。
昭和のゾーンでは,何もない時代から電気釜や4本足の白黒テレビなどようやく文化的な生活へ。
そして3Cのクーラー・カー・カラーテレビ時代へと豊かさを求めて発展した様子が見られます。先人たちの苦労が垣間見られました。
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杉さん
ジッポーさん こんばんは
私が小学校に入学当初は給食がなく弁当を持参していました(田舎でしたので)
教室は暖房は石炭ストーブです。弁当は何段もある網棚に弁当を置き、下から石炭で暖めていました(一番下はご飯が焦げます)
中学校は3年生のころ、月に何かのが給食日に食べたくらいであまり記憶にありません。
覚えているのは、女子が家庭科で作った料理をクラスの男女全員でいただいたことです。あまり旨くなかったです。
高校のときは昼になると近くの商店のおばちゃんが弁当やらパンやら売りに来ました。
おいしかったのはコロッケとメンチ、それにヨーグルトです。先日、その店の前を通りかかったたらつぶれていました。時代は変わりますね。
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テツワンさん
おはようございます。
国民車の条件はすごく厳しい条件ですね。
リッター30kmクリアしたクルマあったんですかね~!
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杉さん
サラリーマン太郎さん どうも
変換ミスがありました。
誤=同館、正=同感
たいへん失礼しました。
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杉さん
テツワンさん こんにちは
どうやらクリアした車は無かったようですね。
スバル360はサラリーマンに人気で、私の兄も通勤に乗っていましてね、始動はチョークレバーを引いてセルをまわします。
そして暫く暖機運転、いきなり走り出すとエンストします。フロントサスはふわふわ、アメ車の真似をしたのかも。
そしてサラリーマンの給料が上がるとちょっと贅沢にパブリカ700が発売。トヨタは商売がうまい。
水平対向2気筒4サイクル空冷エンジンです。ラッシュアジャスターは自動調整の油圧タペット。バルブクリアランスは調整不要の優れものでした。日本のエンジニアは優秀ですね。
今週はモーターサイクルショーへ行くつもりでいます。
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鉄壁さん
こんばんは
精巧な模型ですね。こういうの大好きなので、いつまでも見ていたいです。
ファミコン懐かしいですね・・・そうか10歳の頃に出たのか(´・ω・`)
スバル360も懐かしい。私の父が若いころに乗っていたそうで、写真を見せて
もらったことがあります。
今見てもスバル360のデザインは素晴らしいです。
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杉さん
鉄壁さん こんばんは
江戸の街並みで天秤を担いで歩く魚売りの姿も詳細に作られ見事な作品です。
そういったものが無数に配してありますので一見の価値ありです。
スバル360はフォルクスワーゲンのビートルを真似したんですかね、両車とも国民車として大ヒットしましたね。
その後、生活水準が上がり皆さんパプリカへグレードアップしました。
そして更にエスカレートしてカローラへ、コロナへ、いずれはクラウンへと進展したんですね。
いけいけどんどんの時代で夢がありました。そんな時代を過ごした私は幸せ者です。
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上さん
杉さんこんばんは
「江戸東京博物館」いいですねー。さすが東京です(^o^)
いかにも維持が大変そうな建物は問題ですが、施設の中身は素晴らしいですね。
私の給食の思い出と言えば「カビが生えた潰れたパン」時々ランドセルから発見されるんです。給食は残さず食べたはずなのに。今でも謎です(笑)
それにしても、小学4年生で運転練習(゚д゚)!杉さんの運転歴凄すぎ。
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杉さん
上さん こんにちは
本当にいい時代がありましたね。裕福の象徴は「物」、経済発展で造れば売れる時代で企業は増産に次ぐ増産。人手不足で私も無試験で入社するほどでした。
年金制度も発足し国も財政豊かになり立派な厚生施設などを数多く建てたようですね。
今では負の遺産になりつつあるようですが、この博物館は価値あるものと思いますので存続を願っています。
私も米一粒無駄にするなと言われていました。
上さんは親に食べさせようとパンを少し残しランドセルにいれて大切にしたんでしょうね(笑)まさか嫌いだから食べなかった訳ではないですよね。
  • (0)
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さとぺさん
杉さん、こんにちは!
こんな楽しそうな博物館があったとは!知りませんでした。
昭和ゾーンが懐かしいですね。TVはカラーでしたが、ダイヤルのチャンネルだったし、黒電話なんかも覚えています。うちの茶の間やお台所もあんな感じだったと思います。
ゲームウォッチは凄く画期的で、夢中になってましたよ( ´艸`)
今度東京に行く機会には訪ねてみたいですね。
  • (0)
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杉さん
さとぺさん こんにちは
平成育ちかと思っていましたが昭和の生まれだったんですね。私と一緒だ!それはよかったです。
最初に買ったテレビは白黒でして、画面に透明な青いカバーを付けてカラーテレビ気分で見ていました。
当時、三菱ダイヤモンドアワー・プロレスが人気でした。力道山対悪役外人プロレスラーの戦いです。
噛みつきのブラッシーや鉄人ルー・テーズを相手に空手チョップでやっつける痛快娯楽番組でした。力道山の勝利に日本国民は拍手喝采です。
子供向けの番組は、ハリマオ・月光仮面・少年ジェット・ナショナルキッド・エイトマンなどで、正義のヒーローに憧れた純粋な少年でした。懐かしい!古き良き昭和でしたね。
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