新しくなったプロフ画面を充実させてウェビ友を作ろう!

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さん

ステータス

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720件
インプレ投稿件数
0件
Myバイク登録台数
5台
ウェビ友
59人

伝説の名車が勢揃い!/お台場 旧車天国


先週のこと、旧友のNさんからメールが、
「お台場で旧車天国が行われるよ、今年も行くの?」

そうだ、すっかり忘れていた!
昨年も昭和の名車がずらり並び、見ごたえがありました。

今年も、何やら700台近くが展示されるらしい。
天気も良さそうなので、行ってみることにしました。

そして当日は曇り空、寒い朝を迎えました。
天気予報によると、日中でも最高気温が13℃らしい。
ならば、冬の衣装で完全武装します。

都内へは電車が便利、京葉線と臨海線を乗り継いで行きます。
まずは幕張公園内を歩いて、海浜幕張駅へ向かいました。
今日は木枯らし、北風が寒いのでマスクを着用です。

そして海浜幕張駅のホームに立つと、間もなく電車がやって来ました。
ゲッ、10両編成なのに、全てギュウギュウ詰めだ。なんてこった!

ところが、ドアが開くと一斉に降り出し、電車内はガラガラに。これなら座れて良かった。
降りた人は全員若い人ばかり、どうやら幕張メッセでイベントをやっているようだ。
就活かな?

そして臨海線・東京テレポート駅に降り立ちました。
すると、急に青空が広がり始めました。気温も上がり寒くはありません。

目の前は、トヨタ・メガウェブです。
ここにはショールームやカートコース、旧車の展示など、見て乗って楽しめる車のテーマパークです。
昨年立ち寄ったので、今回はパス

メガウェブの脇には、パレットタウン・大観覧車があります。
リングの直径は100m、オープン当時(18年前)は、世界一を誇っていました。
夜にはきらめく大都会の夜景が楽しめます。
休日にはカップルが押し寄せるらしい。思いを伝えるには最高のシチュエーションです。

東京テレポート駅を出て、船の科学館方面へ歩いて行きます。
商業施設・ダイバーシティ東京の前を過ぎると、フジテレビが見えてきました。

時刻は午後1時、もう皆さん行ってしまったようで人影は少ないです。

そこから少し歩くと、会場が見えてきました。
かなり広い会場ですが、車も人も凄い数です。

天国エリアには、昭和60年以前に生産された貴重な車が、
地獄エリアには、昭和61年以降に生産されたマニアックな車が、
マニアック天国には、珍車・変態車両が、
ロータリー天国には、マツダコスモスポーツやカペラロータリークーペなどが、
そのほか、買い物天国やステージ天国などがあり、一日遊べます。

では、受付から会場へ入ってみます。
おおっ、凄い! いきなりロータスの車が横一列に並んでいます。
黄色や赤、青や紺など、とてもカラフルです。ロータスクラブかな?

左手にトラックが、その先にはバイクが展示されています。
その奥には、用品・部品などのお買い物エリアになっていました。
皆さん、掘り出し物を探しながら見てまわっています。

ロータス ヨーロッパ 1966年以降
イギリスのスポーツカーメーカーが造った初のミッドシップスポーツカーです。

リヤのエンジンフードが特徴的、しかもカッコいい。
キビキビ走る、ライトウェイトスポーツカー(2ドアクーペ)です。

エンジン 直4 DOHC 1558cc
縦置きミッドシップ
最大出力 105馬力
車両重量 610kg

風吹裕矢のサーキットの狼は、ロータスヨーロッパスペシャル
チューンしたようで、126馬力らしい。
若いころ憧れた車、一押しの名車です。

マクラーレン マンタ
公道を走れるレーシングカー
ナンバープレートが付いています。

エンジン シボレー V8 5.7L 450馬力
トランスミッション 4速 マニュアル
車両重量 1000kg

これはまさにレースカー、低い車高でコーナリング性能も抜群らしい。
第二東名から名神へ走りに行ってみたい車です。
エンジン音がさく裂するかも。

イギリス ミニ 1959年以降
ジョン・クーパーさんのチューンによるミニ・クーパーが有名
997cc
55馬力

モンテカルロラリーで、優勝した伝説の名車です。
コースはアルプス山脈の険しい峠道、ヘアピンカープが連続します。

しかもこのコースはくせ者で、天候により路面がドライ・ウェット・雪・アイスバーンと様変わりします。
1967年大会は雪が少なく、王者・ポルシェが先行します。

ところが峠に差しかかると、なんと雪が降ってきました。
ハンドリングに優れる「ミニ」は猛然とポルシェを追い上げ、悲願の優勝を果たします。

しかし、翌年はポルシェに打ちのめされます。
「ミニ」は意地を見せますが限界を感じ、レース活動に終止符を打ったようです。
あれほど打倒ポルシェに闘志を燃やしたのに、涙・涙・涙・・・

「ミニ」は、ポルシェの偉大さをたたえます・・・
「ポルシェ911は、全世界に80万台以上販売した。これを超えるスポーツカーは存在しない」と、ミニはいう。

これは何という車なのだろうか?
直4 DOHC
ウェーバー社かソレックス社のツインキャブ仕様

ツーリング中、ゴーグルのオッサンが運転していて、かなり速い!
見かけるのは、赤城の北面と榛名山

直線で引き離すも、コーナーで追いついて来る。なんて奴だ!
コーナリング性能、抜群です。
直線では、バイクの方が断然速いが・・・

MR メッサーシュミット KR200
ドイツの航空機メーカー・メッサーシュミット社製

エンジン199cc 二人乗り
バックギヤが無いので、エンジンを逆回転させるというユニークな仕組み
形もユニーク、面白いです。

日野 コンテッサ 1961年以降
リヤエンジン リヤドライブ車

エンジン 直4 OHV 1251cc
最大出力 55馬力

当時の道路は、悪路が多く、リヤエンジンのコンテッサは ぬかる道も難なく走り抜けます。
だが、フロント荷重が少ないので、コーナーリングはアンダーステア、要注意です。

当時、私の先輩が乗っていて、品のいいスタイルで憧れた車の一台です。
皆さん、リヤパッケージトレイに、丸いクッションを置いていました。使わないのに。
その頃のリヤエンジン車は、ワーゲンとキャロル、スバル360くらいだったかも。

ミツビシ ギャランGTO 1969年以降
コルトギャランのスポーツモデル
当時流行りの2ドアクーペ

エンジン 直4 DOHC 1597cc
最大出力 125ps
最高速度は、200km/hと、豪語していました。

硬派な男に人気のようでした。
GTOの弟分のFTOは優麗なスタイルで女性ファンも多かったようです。

トヨタ クラウン ピラードハードトップ スーパーサルーン 1974年以降

エンジン M型 直6 2.0L
エンジン 4M型 直6 2.6L

この車は、友人のSさんが乗っていました。
ゴージャスで、造りも良く乗り心地抜群です。

昭和48年排ガス規制が、実施されました。
対応は、エキパイとマフラーの間に、酸化触媒コンバータを取り付けました。
中に入っている触媒ペレット(粒状のもの)は、定期交換です。
だが、パワーが激減、燃費も最悪

その後、TTCC(トヨタ トータル クリーン システムを開発
希薄燃焼方式のシリンダーヘッドを作成しました。
しかし、レスポンスが悪く、もう乗りたくなくなった
ホンダの複合渦流調整燃焼方式(CVCC)も同様でした。

トヨタ セリカLB 1970年以降
リフトバックタイプ

流れるようなスタイルで人気車種に
特に1600GTは、ソレックスツインキャブで、気持ちよく吹き上がります。

ヤマハ製エンジン 2TG型 直4 DOHC 1.6L
最大出力 115ps
トヨタ車の中で、一番の傑作エンジン、ヤマハのお陰です。

私が乗っていたのは、TA22型クーペタイプ
1600ST ツーバレル・ツインキャブ仕様
車体が低く、スピード感が凄い
兄弟社のカリーナは「足のいい奴」、セリカと同じ部品なのに。関西人のトヨタは商売が上手い。

トヨタ 1600GT5 1967年
車体は、トヨペット コロナ ハードトップ
生産は昭和42年の1年間のみ、隠れた名車です。

型式 TR55
エンジン 直4 DOHC 1.6L
最大出力 110ps
トランスミッション 5速フロアシフト (GT4は4速)

日本グランプリで、スカイライン2000GTBを打ち破る優れもの
フロントフェンダーのエアルーバーを買いに来るお客様がたくさんいらっしゃいました。
皆さん、ノーマルハードトップに付けて、気分は1600Gです。

私が乗っていたのは、コロナセダンRT40型 1500cc デラックス
アローラインと呼ばれるシャープなフロントラインが特徴です。
この年、初めてブルーバードを抜き、国内販売第一位に輝きました。トヨタ 頑張りました。

先輩がマーク2を買うというので、下取りのコロナを私が買い受けました。
1年半乗った車で、30万円です。
当時の初任給が、27000円から30000円ですから、年収に匹敵します。
でも大丈夫、バブル絶頂期 ボーナスが年4回も出ますから。

トヨタスポーツ 800 1965年以降
エンジン 水平対向 2気筒 空冷 OHV
最大出力 45ps
最高策度 155km/h

タペット調整不要のラッシュアジャスター(オイルタペット式)、優れものです。
馬力は小さいが、空力ボディーで、ホンダS800と互角に戦います。
愛称は「ヨタハチ」

千葉県の船橋サーキットでは、伝説が生まれました。
生沢轍のホンダS600に、浮谷東次郎はトヨタスポーツ800で挑みます。
ホンダは57ps 水冷4気筒 DOHC 4キャブ 最高速度145km/h
トヨタは 45ps 空冷2気筒 OHV 2キャブ 最高速度155km/h

両車 周回を重ね、5週目の最終コーナーで、生沢のスピンに巻き込まれ接触してしまいました。
東次郎はピットで車体の修復をします。そしてコースに復帰するも、53秒の遅れとなりました。
すると東次郎は猛然と追い上げ、生沢をも抜き去り優勝を果たしました。

トヨタスホーツ800は、非力ながら空力ボデーで最高速度はS600より上です。
エンジンパワーと空力ボディーの戦いでした。

トヨタ2000GT 1967年以降
3M型 直6 DOHC 2.0L
NA(ノーマル・アスピレーション)
最大出力 150ps
サスペンション 4輪ダブルウィッシュボーン・・・贅沢な仕様です。

当初、ヤマハと日産自動車が共同開発し、試作車を作りました。
ところが、日産の都合で協力体制が解除されてしまいました。
どうやら、莫大な費用が掛かるらしく、日産は重荷になったようです。

資金繰りに困ったヤマハは、トヨタ自動車の当時専務の豊田英二さんに相談しました。
そのころ、トヨタもそのようなスポーツカーを関東自工でと、思案中でした。
丁度そのとき、ヤマハからの依頼があり、承諾したということです。

トヨタにしてみれば、棚ぼた かも。
本来なら、日産2000GTだったはず。
すると、スカイライン2000GT、フェアレディーZ432、日産2000GTと、ニッサンはスポーツ車のパラダイスだ!

いすゞ ベレット 1600GT 1963年以降
通称 ペレG

エンジン 直4 OHV 1.6L SUツインキャブ仕様
最大出力 88ps
最高速度 170km/h

GT(グラン・ツーリスモ)と名乗ったのは、このベレットが最初です。
空力に優れたクーペスタイルは、いかにもスポーツカーの雰囲気です。
コックピットはスポーティー、ひとたびハンドルを握れば、本気にさせられます。
ルーフのアンテナも先進的でした。

当時、実用車ばかりの中、洗練されたスタイル・デザインで輝いて見えました。
この車が欲しい、いつか手に入れたい、そんな思いでした。
これは世紀の名車です。

プリンス グロリア スーパー6 1962年以降
直6 SOHC 2.0L
最大出力 105ps
トランスミッション 3速マニュアル(オーバードライブ付き)

アメ車を思わせる堂々としたフォルムです。
クラウンやセドリックより、高級感が漂います。

親の知り合いがこのグロリアで我が家にやって来ました。
ラジエーターグリルもテールまわりも豪華です。
当時、車はステータス、いつかはこんな車に乗りたいと思ったものです。

プリンス スカイライン2000GTR (PGC-10型) 1969年以降
通称「スカG」、「ハコスカ」

エンジン S20型 直6 DOHC 2.0L 24バルブ
最大出力 160ps/7000rpm
三国製3連ソレックスキャブを装備
末尾のRは、racing レースに勝つために生まれた車です。

この車からスカイライン伝説が始まりました。
それまでは、軽量なトヨタ1600GTが常勝
その後は、ハコスカGTRが無敵の連勝を続けます。

ところが、宿敵が現れます。それはロータリーエンジンのマツダ・サバンナ
ビビビビーとうるさい排気音ながら、GTRを追いかけます。
そして長いストレートでGTRを抜き去り、新たな王者に。

残念ながらGTRは、48年排ガス規制をクリアできず、1973年3月に生産終了。
モータースポーツファンの夢は砕かれ、もう絶望的でした。

私が乗っていたのは、2000GTXセダン (GC10-TKR5)
L20・SOHCエンジン・SUツインキャブ仕様でした。

昭和47年、ハコスカがモデルチェンジで愛のスカイラインへ。
そこで、旧型在庫残りのハコスカを購入した次第です。
念願のスカG、人生で最高の感動を与えてくれた車です。

スタイル・デザインは抜群、サイドのサーフィンラインが特徴的
インパネはコックピットを思わせる機能美が男心をくすぐります。

L20型SUキャブでも、ヒューンと軽快に回る優れたエンジンでした。
当時、トヨタのM型エンジンは、とても及びません。
ポルシェタイプのマニュアルトランスミッションは、スコッスコッと独特なフィーリング

このスカイライスで九州へドライブ
初めて走るやまなみハイウェイ、初めて見る阿蘇と別府温泉、感動の連続でした。
ハコスカは まさに伝説の旧車、素晴らしい! 忘れられない思い出の一台です。

ニッサン ダットサン・サニークーペ 1966年以降

エンジン 直4 OHV 1.0L
最大出力 56ps

ファストバック風クーペモデル
ラジエーターグリルと テールランプのデザイン抜群
横からのフォルムも、今までに無い都会的センスが人気に

1000ccエンジンながら、1100ccのカローラより飛び出しが良く、若者に絶大なる人気車に
私の兄の友人が、このサニークーペでやって来ました。
早速お借りして試運転、新車の香りとエンジン音に酔いしれました。
今でも、あの時の感動は忘れません。

ニッサン チェリークーペ X1R 1970年以降
エンジン 直4 OHV 1.2L SUツインキャブ仕様 (セダンは1.0L 58ps)
最大出力 80ps

サニーが宿敵カローラ1100に対抗すべく、1200ccへとモデルチェンジ
そこで、1000ccクラスの穴埋めに造ったのがチェリーセダン1000です。
トヨタパブリカの対抗車だともいわれていました。
クーペモデルは、走りが楽しめるようにと、200ccアップしました。

キャッチコピーは・・・
「こ え て る く る ま で す」 超えてる車
ユーザーの期待感をくすぐる作戦で、この年 販売拠点「ニッサン・チェリー店」を立ち上げました。

これは私の友人Sさんが乗っていた車
ラゲッジスペースが広く積載能力抜群、ライトバン代わりに使用していました。
当時は直線的なスタイルの車が多い中、丸みを帯びた独創的なリヤスタイルで世間を騒がせました。

ニッサン 510ブルーバードクーペ 1967年以降
SSS(スーパースポーツセダン)、走りを予感させます。
エンジン 直4 SOHC 1.6L SUツインキャブ仕様
最大出力 100ps

前モデルの4代目410のスタイルが不評で、ライバルのコロナに水を開けられます。
そこで、ニッサンが総力を結集して完成させたのが、510ブルーバードです。
垢ぬけた都会的センスで、たちまちユーザーの心を射止めます。
カラーは、このサファリーブラウンが人気に

フロントサスペンションは、マクファーソンストラット式
リヤは、リーフスプリング多い中、セミトレーリングアーム式を採用

滑らかな乗り心地なから、コーナーは踏ん張ります。
シャコタンにすると、リヤホイールがハの字に広がり安定感抜群です。

職場の先輩が乗っていて、加速するとリヤが沈みダイナミックな走りが楽しめます。
さすが、技術のニッサン、ボディー以外はトヨタの上をゆきます。
トヨタはパクリが多いようだ。

ニッサン バイオレット 2ドアハードトップ 1973年以降

エンジン L16型 直4 1.6L SUツインキャブ仕様
最大出力 105ps

当時の流行りの曲線を、独創的に表現しブルーバードとは差別化を図っている。
当時はハードトップが人気、バイオレットも すかさず採用

フロントは、ディスクブレーキ
リヤは、ドラムブレーキ
このころから、ディスクブレーキを採用すね車が増えてきました。

しかし、売り上げは伸びず、残念な結果に。
しかし、トヨタ車とニッサン車の販売合戦は五分五分、しのぎを削っていました。

ニッサン ローレル 4ドアセダン 1972年以降
SGX
エンジン 直6 OHC 2.0L SUツインキャブ仕様
最大出力 130ps (ハイオクタンガソリン仕様)

シャシ関係はスカイラインと共通です。
スカイラインはスポーツ系要素を、ローレルはラグジュアリー志向を取り入れた車です。
同じプラットホームとは、思えないほど趣が全く違います。
キャッチコピーは、「ゆっくり走ろう・ゆっくり生きよう」、心のゆとりを象徴します。

ハードトップは、テールランプがリヤバンパーに取り付けられ独特な造り
リヤトランクは膨らみを持たせ重厚感に満ちています。
お尻が大きいので、愛称は「ブタケツ」

当時、サニーは大衆車、ブルーバードは中流階級の乗り物
高度成長期で、収入もUP、人よりいい車をと、ハイソカーブームに。
トヨタはマーク2を、日産はローレルが人気で、販売の主流になりました。
トヨタでは、コロナよりマーク2の方が売れていました。

ローレルの2ドアハードトップは、旧友のNさんが乗っていました。
彼はこの車を武器に婚活、見事素敵な女性に巡り合えました。
私はハコスカの次のクラウンハードトップで婚活です。
車はステータス、人生が変わります。

ニッサン ダットサン・フェアレディー2000 SR311型 1967年以降
エンジン 直4 OHC 2.0L
ソレックスツインキャブ仕様
最大出力 145ps

最高速度 205km/h (国内初の200km/hを達成)
日本グランプリでは、GT部門で1位から3位を独占、快挙を遂げました。

兄の友人がプリンス店に勤めていて、このフェアレディーに乗っていました。
地響きがするような迫力のエンジン音、まさにレーシングカーのようです。
これは凄い! スポーツカーの魅力に溢れていました。

それから5年後、ハコスカにこのSR用マフラーを取り付け走りまわっていました。
青春時代、真っただ中です。

ニッサン フェアレディーZ 432 1969年以降
エンジン S20型 直6 DOHC 2.0L 24バルブ
最大出力 160ps/7000rpm
三国製3連ソレックスキャブを装備

これはゼロ戦のエンジンを手掛けた中川良一氏の手によるもの。
日本グランプリ(1996年)で、世界最速のポルシェ906を破ったプリンス・R380のエンジンがベースらしい。
フェラーリでさえ1気筒2バブルのところ、S20は4バルブに。当時は革新的な技術だったようです。

やはり、車はロングノーズ、ショートデッキがカッコいい
友人の車を運転し、スポーティーなコックピット、迫力の吸気音、
まるで羊の皮をかぶったオオカミ、エンジンが吠えます。

これが欲しい! 中古を探しまわったが、高くて買えませんでした。
そこで買ったのがハコスカの新車です。

45年ほど前、富士スピードウェイでクランチャンピョンレースが行われていました。
プロトタイプレーシングカーが多い中、フェアレディーZも参戦していました。

ある日のレースは、あいにくの雨
プロトタイプレーシングカーが雨でスピンに苦戦しているところ、細いタイヤのフェアレディーZは断然有利
とうとう、優勝を果たしました。
ドライバーは柳田春人、このことから「Z使いの柳田」と呼ばれるようになりました。

フェアレディーZは、世界に誇る日本の名車です。
トヨタ2000GTより、こっちの方が魅力的、今でも欲しい車の一台です。

ホンダ S600 1964年以降
2シーター オープンスポーツカー

エンジン 直4 DOHC 606cc 4連キャブレター
最高速度 145km/h
最大出力 57ps/8500rpm

リッター100psに迫る高性能エンジンです。
レッドゾーンは、9500rpm というから、かなりの高回転型です。

本田宗一郎はいう、
既存メーカーと競合するより、新しい需要を開拓することが重要
日本の自動車産業を、国際的に通用させるには、レースによる育成が必要
そのためには、スポーツカーがいる
出すからには世界一でなければ意味がない

ホンダスポーツ360、ホンダスポーツ600、ホンダスポーツ800へと、
スポーツカーへの思いと情熱はどこまでも続きます。

これはおまけ、旧者です。展示会場で売っていました。
1929年生まれ
イギリス人 オードリーヘプバーン
がんにより1993年没
ダットサン フェアレディーは、オードリーヘプバーン主演のミュージカル「マイ・フェア・レディ」から、名付けられたらしい。

ヘプバーンは、コンプレックスだられけだったといいます。
大きな鼻、角ばった肩、貧乳、大きな足・・・
ところが、彼女のいうコンプレックスは欠点ではなく、魅力だと世間は見ていたようです。
ヘプバーンは、ローマの休日・おしゃれ泥棒などに出演、稀にみる名優です。

ここはバイクエリア
規模は小さいながらも、約40台ほど? 展示されていました。

特に人気は、レストアのテントです。
集合管マフラーなどへ一部改造されているが、エンジンもメッキ部品も新車同様です。

ヤマハ SR400
セパハンとレーサーシートをまとったカフェレーサー

昔、カローラ店のツーリングクラブに参加したことがありました。
リーダーのユーロ500をはじめ、総勢20台で房州へ
道中 信号で停止、そして青になり一斉にスタート

ところが、SR500がエンスト!
どうやら、セルモーターが付いていないようだ。

後ろは車の渋滞、彼はサイドスタンドを立て、ステップに立ち上がりエエイッ、力任せにキックします。
でもかからない、バイクに馬乗りになり猛然とキックを続けます。
すると、ドコドコドコっと、炸裂音が響き渡ります。

エンジンをかけるだけでも、儀式が必要な面倒くさいバイク
これがマニアにはたまらない魅力なのかも。

ホンダ モンキー50

シリンダーをボアアップして、オーバーサイズピストンを入れ88ccに
オーナー曰く、排気量アップはこれで限界
これで140km/hは出るらしい。
モンキーで? 恐ろしい!

腰下に手を入れれば、もっと排気量アップが出来るらしい。

NMR スーパーモンキー

NMR(ニュー モンキー レーシング)社製
カウルをまとった童夢のバイクみたいだ。
素晴らしい完成度、床の間に飾って置きたい。

ホンダ ベンリイスポーツ125 CS92型
1959年発売

2気筒 OHC 124cc
15ps 120km/h
車両価格 143,300円

車名は「手軽に扱えることができ、自転車よりも便利」、というコンセプトによるらしい
荷台付きの実用車(C92)に、Wシートとアップマフラーを装備したスポーツバイク
大きいフェンダーは実用車そのもの、フロントサスは、ボトムリンク式です。

エンジンは、実用車(C92)と同じく、360度クランクらしい。
私が小学生だったころ、近所で見かけました。
メグロと比べると、スポーツバイクに見えました。

ホンダ ドリームCB72 スーパースポーツ 1961年発売
エンジン 2気筒 SOHC 247cc
最大出力 24ps
最高速度 タイプ1 155km/h (180°クランク)
最高速度 タイプ2 145km/h (360°クランク)

当時、ホンダは世界一名高い「マン島TTレース」に挑みます。
そして、翌年にはトップ争いをするまでに、技術力が向上しました。

そのレースの技術力生かして、CB72は完成しました。
2ストばかりの時代に、初めて4ストのスーパースポーツが鮮烈なデビューを果たします。
世のライダーたちの熱い思いが集中します。

キャッチフレーズは、「トップで70km/h以下では走れません」
ホンダもその気にさせます。

16歳で自動二輪免許を取り、上野の中古車街へバイクを買いに行きました。
目指すはCB72、憧れの機能美溢れるスポーツバイクです。
欲しくてたまりません。もう運転している自分を想像します。
ところが人気沸騰で、台数が少なく、有ってもかなり高く買えませんでした。

第二候補のヤマハYDS3は、どこのモータースにもありません。
予算内で買えるのは、人気のないスズキT20です。
仕方なくこれを買いました。この時ばかりは、情けなかった。

そんなCB72、今でも乗りたいバイクです。
これは、世界の名車です。

ホンダ スーパースポーツ CB750FB 1979年以降

エンジン 直4 空冷 DOHC 748cc
最大出力 68ps
最高速度 200km/h
ゼロヨン加速 12.8秒
価格 538,000円

CB900のスケールダウンモデル
国内排気量規制によるもの

ホンダによる優麗なヨーロピアンスタイルが爆発的な人気に
Z2と見比べたが、私はこのCB750FAを購入、弟は写真のCB750FBに乗っていました。
箱根・日光などへ何度かツーリングしたことがありました。

当時、ナナハンは国内最大排気量、有り余るパワーで東名を走り抜けます。
バイクの走る喜びを与えてくれたバイクでした。
宗一郎さんこだわりの空冷エンジンは、夏の首都高でエンスト発生

時刻は午後2時半、そろそろ帰ることにします。
ダイバーシティ東京方面へ歩いて行きます。

少しすると、街路樹が色づいています。
もう東京も秋の装いです。

皆さん立ち止まって写真を撮っています。
では私も記念に一枚。ビルと空と紅葉、なかなかきれいです。

ダイバーシティ東京の前にやって来ると、巨大なガンダムがあります。
これは全高19.7mの実物大ユニコーンガンダム立像です。

ダイバーシティ東京の中に、「ガンダムベース東京」がオープンしました。
ここはガンダムのプラモデル総合施設です。

そして、東京テレポート駅から各駅停車でのんびり帰りました。

モーターショーで未来の車を見るより、過去の旧車の方が楽しめました。
昔乗った車が、目の前に現れるとは、感動ものです。
そして憧れの車にも出会え、いい一日を過ごせました。

写真はイタリア フェラーリ 328GTB
エンジン V8 DOHC 3185cc
最大出力 270PS
型式の32は排気量3200ccを、8は気筒数を表わしています。
おしまい
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コメント(全28件)

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Maxさん
こんにちは
オードリーヘップバーン、綺麗ですねー^-^-
ハコスカいいですねー^-^-
私「Z」c-28すきです。
では、また
  • (0)
  • 返信
おっぺけさん
おぉー!

一番素晴らしいイベントレポート、ありがとうございます!
すべてが懐かしく、当時を思い出させてくれますね。。

自分たちは、午前中で帰ってしまったので
行き違いですね(^^♪
  • (0)
  • 返信
ジッポーさん
杉さん こんにちは

「あの頃」を思い出させる車ばかりです。
地元の友人たちとツルんで遊んでた頃は
クルマの改造の話ばかり。
その頃自分がメカニックかじってたものですから
我が家の作業場は「**(私の名字)ガレージ」とか云われてました(笑)
大したウデもないくせに、友人車の改造拠点になってました。

初めて買ったのが日産メカニックの癖に18Rなダルマセリカ2000ST。
これをいかに速くするかというテーマで色々弄りましたね。
お陰でCARBOYという雑誌の記事になったり。
SOHCしかも致命的なカウンターフローですが2.2Lにボアアップして
ソレックス、タコ足内燃機マフラーや吸排気ポート研磨、特注ハイカムで
新木場ゼロヨンに通ったものです。
L28改3.0Lや12Aサイドポートにあっさり負けましたが。
悔しくてその後18R-Gなダルマに乗り換え弄り倒しました。
速かったなぁ(当時は)

あの、全開発進時のオイルの焼けるタイヤの焼ける臭いが
未だに鼻に焼き付いています。たまらん!

最近の車は確かにパワーもあるし実に速いけどほぼ電子制御で、
メカニカルな感じが物足りない気がします。
ガチャガチャ感というか。

いや、それにしても知っていれば行きたかったです。
  • (1)
  • 返信
キム(first penguin) ヨガの眠り中さん
杉さん、どうも!
C-9はバーキン7ですかね。
群馬では本当に良く走ってますね。
今ではオリジナルよりも、なんちゃってモデルが多いみたいです。
最近は軽自動車のエンジンを積んだものも現れて、マジに欲しい!と思いました。(笑)
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杉さん
Maxさん こんにちは
オードリーヘプバーンを初めて見たのは、「おしゃれ泥棒」でした。
ピーターオトールは美男子、ヘプバーンは可愛らしさ際立っていました。
このときから、二人のファンになりました。永遠の美女も流れる歳月には勝てず老いてゆきます。時は残酷です。
確かにフェアレディーZは素晴らしいスポーツカーです。金があれば乗れたのに残念でなりません。この世は金次第、年末ジャンボに夢を託しましょう。
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杉さん
おっぺけさん こんにちは
レポート、お褒めいただき恐縮です。思いつきで書いただけですよ。
おっしゃる通り、昭和の名車がずらり、素晴らしいですね。忘れていた若き日を思い出しました。
特に、ダットサンフェアレディ・ベレット・スカGは、暫く眺めていました。
昨年も見に行ったのですが、今年も感動の連続です。
おっぺけさんとは行き違いでしたね、残念です。
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きんすぱさん
こんにちはです。
思いのほか日産車を大目にご紹介頂き嬉しかったです。

特に710バイオレットは短い期間でしたが所有した事が有ったので懐かしいですね。
自分が持ってたのよりも格段に程度が良さそうですけれど(^^;
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杉さん
ジッポーさん こんにちは
メカに強いので羨ましいです。それにしてもカーキチだったんですね。そういう私も24時間車どっぷり車に浸かり、カーキチでした。
そして会社の工場に車を入れ、見よう見まねでコロナのOHVエンジンのタペット調整くらいは自分でやってました。
エンジンをかけたままですので、バルブが動いているのに、メガネレンチでアジャストナットを回していました。もうメカニック並みに上達しました(笑
18RGエンジンはマーク2のGSSに乗っていたときがあります。トルクはありますが吹き上りが重い感じでしたね。
ダルマセリカは、2Tエンジンのツーキャブでしたが、楽しい車でしたよ。でもニッサンに務めているのにトヨタ車に乗るとは愛社精神に欠けますね。
そういう私もトヨタに務めているのに日産車が大好き、Zに憧れスカGを乗りまわしていました。
今回も昭和の車が集まり見ごたえ十分でしたよ、来年はご一緒したいですね。
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てづ@GPZ900Rさん
杉さん、こんにちは~
イベントリポートありがとうございます!
やっぱり実際に行って観てみたいですね!
旧車、レア車は、すれ違い時に観れても、止まっているのをじっくり見た事はないので、ヨダレモノですね!バイクに到っては名前が同じでも、かたちがかなり違う車両(刀の様)もある楽しそうです!
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杉さん
キムさん こんにちは
そうなんです、群馬は千葉からも比較的近いので赤城や春名山へ走りに行きます。
そこでこのスポーツカーに追いかけられバトルする羽目に。バーキン7というんですね、初めて知りました。
エンジンはフォード製の直4 DOHC 縦置きでツーキャブでした。
車体が軽そうなのでかなり速そうでしたね。
こんなの1台欲しいです、でもかなり高そう。キムさんが買ったら貸してくださいね。楽しみにしてまーす。
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鉄壁さん
こんにちは
レポートお疲れ様でした!大変読みごたえがありました(*´ω`*)
この中で印象深いというか、思い出深いのはトヨタスポーツ800ですね
20代に勤めていた会社の会長が、営業所の視察にご自分で運転してきて、
僕らにキャブの調整をさせるということが、毎度のように行われました
(会長さん80歳手前でしたが、もう1台の愛車がJZA80スープラRZでした)
会長の車も同じ赤色でしたね~懐かしいです

父の愛車がギャランGTOでした。僕が小さい頃にGTOのボンネットに座って
る写真がありました。こちらも懐かしいですね
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杉さん
きんすぱさん こんにちは
そうなんです、子供のころから車が好きで親の脇に座って青果市場へよく行っていました。
そして町で見かけるスポーツカーにときめいていました。
親はトヨタ車に乗っていましたが、私は日産車が好き。ダットサンフェアレディ・サニークーペを見て就職は日産だ!
ところが縁あってトヨタに就職、仕事はトヨタで趣味は日産です。
自動車のニーズも広がり、バイオレットやスプリンターなど兄弟車ブームになりましたよね。私の生涯はバイクと車でした。素晴らしい人生に乾杯(^-^)
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杉さん
松風 忍さん こんにちは
どういたしまして、滞在1時間半くらいでしたので、感じたポイントだけ紹介させていただきました。
おっしゃる通り、広い会場にファンが押し寄せお祭り気分です。その雰囲気を味わうだけで楽しめます。
そして憧れの車を目の前にすると感動ものです。
岡谷のスカイラインミュージアムへも行ってみたいと思っています。
来年は松風さんもいらして下さいな、私も行くつもりですので。 もしかすると、松風さんにお会いしたいと言っていたジッポーさんもいらっしゃるかもしれませんよ。
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杉さん
鉄壁さん こんにちは
拙いブログですが、見ていただき嬉しく思います。
トヨタスポーツ800は、パブリカセダンのエンジンなのに信じられないほど早いですね。高力の重要性を思い知らされますね。
当時はOHVのエンジンでバルブクリアランスやポイント、そしてキャブの調整などメンテナンスが必要でしたね。
その点、鉄壁さんはプロですもの得意とするところでしょうね。
その会長さん80歳手前とはお元気ですね。そして愛車がJZA80とは鉄壁さんと同じ車だったんですね。セリカXXの後継モデルでしたね、懐かしいです。
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くれないの?デブっ!(ター坊改め。略称「くれデブ」)さん
杉さん、こんにちは。語っても語っても語り尽くせない(^.^)杉さんの旧車への熱愛ぶりが溢れていますね(^.^)
私のビンボー学生時代に高嶺の花だった車やバイクの数々、実際に行ってみたいですね〜(^◇^;)
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麺屋家元さん
こんにちは。
過去に乗ってたクルマや、現在所有してるクルマがチラホラありますよ。

個人的に一番復活してほしいのは、c22のB10サニーですね。

安全基準でもう二度と無理ですけど。。
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チバアヒル(令和の馬笑)さん
杉さんも行かれたんですね。(^^) 時間的にずれていれば会場でお会いできたかも...

旧車は昔の思い出をよみがえらせてくれますね。♪

ローレルやクラウンで婚活でしたか。(*^o^*)...車でナンパや婚活なんて今の若い人には理解できないだろうなぁ...
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ゴリフさん
ギャランGTOは私が生まれた頃親父が乗っていましたが、
硬派な男の車だったんですね。親父を見直しました。
ギャランのあとセリカLB、マークIIGSS、
その次が、なぜか当時私がカタログを見て欲しがったらしく、緑色のサンバーに乗っていました。
サンバーで機動力が上がったので、清澄の山奥とかよく虫を取りに連れて行ってもらいました。
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杉さん
ター坊さん こんばんは
そうなんです、小さいころから労せず移動できるオートバイや車に興味がありましてね、親が出かけるときは助手席に座ってギヤチェンジの仕方などをじっと見てました。
そして何トンもある車がアクセル一つで自由に動かせるとは、感動したものです。
18歳になるのが待ち遠してたまりませんでしたね。
それまでの移動の手段は自転車、坂道が辛くてたまらない。家のバイクを走らせたら楽にどこへでも行ける。これはいい。
そして待ちに待った16歳、試験場へ駆けつけました。そしてまずはバイクライフから始まりました。
そして18歳で車の免許を取得、やっぱり雨でも濡れない車がいい。そこから車ライフが始まりました。
趣味も仕事も車、今はバイク中心の生活です。車とバイクで生きた人生でした。
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杉さん
麺屋家元さん こんばんは
昭和の車が健在とは驚きですね。
1970年台は製鐵の技術も低くボディーのプレスや塗装まで未熟な時期でしたので、新車も2年後には、錆が発生して塗装面はニキビのようになっていましたよね。
そんな直ぐに鉄くずになるような車が新車のようにピカピカです。これには驚きますね。
お陰で遠い昔を懐かしむことができました。
B10サニーのエンジンはよく回り素晴らしかったですね。これぞ技術の日産です。
1100ccのカローラより1000ccのサニーに方が速かったですものね。私も復活してもらいたいと思っています。
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SARAH沙羅(代)さん
こんばんわっ☆ミあたしです^^

すごいレポートです^^
書くだけで相当の時間がかかったと思います・・・

ユニコーンガンダムも見に行かれたんですね^^
あたしまだ見てないんですよ~行かなくちゃ・・・・(年明け)
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杉さん
チバアヒルさん こんばんは
そうなんですよ、友人から情報がありまして急遽行ってきました。
もしかしたらチバアヒルさんとお会いできたかと思うと残念です。
おっしゃる通り、目の前にすると忘れていたことが蘇りますよね。
8トラックカートリッジのカーステレオで野路由紀子の北信濃絶唱を聞きながら真夜中の国道18号線を走ったりして。アホな私でした。
いすゞも言っていましたね、「ベレGに乗らなければ女にもてない」と。もてる男気みなペレGでした(笑
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杉さん
ゴリフさん こんばんは
ミツビシはフラッグシップのデボネアが重厚感があり厳格なイメージでしたね。会社社長の公用車に人気があったようですね。
ギャランGTOはよく見かけましたが、私には縁がなかったですね。ギャランシグマは、親せきからいただいて女房が買い物に一時期使っていました。これも懐かしいです。
家の近くのモータースがスバルの代理店をやっていまして、その関係でスバルサンバーをよく見かけました。
周りには農家が多く、ぬかる道もリヤエンジンのサンバーは難なく脱出します。サンバーは農家の味方でしよ。
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杉さん
SARAH沙羅さん こんばんは
内緒の話なんですが、以前の日記のパクリもあるんですよ、他言無用に(;^_^A
沙羅さんは若いから昭和の車には興味がないでしょうね。でも自動車が改良されてゆく過程が見られて面白いですよ。
当時はよくバッテリーあがりが発生しましたので、その時は手動でエンジンをかけていました。
私の親のダットサンでしたが、フロントバンパーの中央の穴からクランク棒を入れて、クランクシャフトを回します。それが今は自動運転、自動車の技術革新には目を見張るものがありますね。
ユニコーンガンダム、凄いですよ、ガンダムベース東京の中へは入ったことがないのでいつか覗いてみようかと思っています。きなこさんの好きなガンプラがたくさんあるようですよ。
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シェフさん
C9はケーターハムのスーパーセブンですね!フロントのサスペンションとヘッドライトのケースが黒なのとコスワースエンジンならケータでししょうか?

自分がバーキンセブンを持ってるので間違いないと思います・・・

Z432は叔父が、無理を言って大森日産に飾っていた432を手に入れてました!
432のカタログに使った青い432がそうでしたが・・・助手席で初めて
足がすくむ加速でビビった記憶が有ります・・・笑 1512366639802M.jpg
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杉さん
シェフさん こんばんは
この手の車には知識がなく、全く分かりませんでした。分かるのは早いってことだけです。
確かに直4のフォード製エンジンでした。コスワースといいますと、ブライアンハートチューンのDFVとBDAエンジンを思い出します。
その昔、GCレースで、ローラに3LのDFVエンジンは無敵でしたものね。
シェブロンに2LのBDAエンジンは、2Lの中では抜群でした。
Z432は世界の名車でしょうね、今でも欲しい車の一台です。また、旧車の話を聞かせてください。 1512374636241M.jpg
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シェフさん
元々、ロータスに居たブライアン達がコスワースを作って独立して出来たエンジンですよ~!なのでそれまでロータスで作った時のエンジンはロータスツインカムと言ったりします。元は戦闘機エンジンの開発をしてたのでダットサンのレース用を開発した人と同じですね~!
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杉さん
シェフさん こんにちは
バーキンセブンを所有なさっておられるようで、さすがお詳しいですね。
ロータスというとイギリス、そこからブライアン達は独立してアメリカフォードエンジンのチューンを手がけたんですね。
車もバイクもスピードが命、それを追い求める男たちのロマンが感じられます。
若いころの昭和40年代、日本の自動車会社も欧州車に追いつけ追い越せと情熱を燃やしていました。そのときのように、もう一度盛り上がって欲しいですね。
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