3月31日 今回の山陰の旅の最終日となりました。 浜田から益田を経由して萩に向かうつもりが、無意識というか条件反射的にいつの間にか津和野に向かっていました。(^^;津和野に近づいて道路標識に「津和野」という文字が見えだしたところで、ルートを間違えたことに気が付きましたが、すでにアフターカーニバル...(--)C地点 津和野 am8:30仕方ないので津和野市内を少しぶらついて、萩に向かいました。(^^;
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Met with some good friends from work and headed out up into the mountains. went to the local dam and then went on to go take some pictures. We then went further up the mountain to a place called American diner then after some good food we went to the rider spa and rest area then back home.
秘密の野営地から見える山の中腹に林道らしきものが見えていて以前から気になって調べていました。下山林道って名前みたいで𝑌𝑜𝑢𝑇𝑢𝑏𝑒にも出てくるんだけど、皆んな標識からが映像の始まりでそこまでのルートが分からなかったんですが、この度解明したので朝の涼しいうちに行ってきました。以前、すぐ横の道まで来ていたんですねぇ。気が付かなかった。念願の標識見つけました!動画によるとこの先川渡りがあるみたい。先へ進むと橋が出てきました。「え?コレ?」見た𝑌𝑜𝑢𝑇𝑢𝑏𝑒が10年も前のやつで道が変わった?ちょっと無理そうなんで諦めて引き返すと曲がる道が有るの草で見落としてました。映像通りの川渡りが有りました。
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・