9月30日~10月2日 2泊3日で東北ツーリングに行ってきました。時期的に紅葉はまだ早いので、食欲の秋ということで美味しいもの巡りをしてきました。
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オジイサン二人で朝6時半角田を出発。 国道113号線を高畠・南陽方面へ。熊注意❗の飯豊山林道を堪能して福島に抜け会津坂下ドライブインで馬刺しを購入。 喜多方の一平でラーメンを食べ、米沢経由でなみかた羊肉店に寄り13号線を通り4号線国見から梁川を通って、午後3時過ぎに角田に戻って来ました。 お尻が痛くなりましたが、300kmの楽しい旅でした。 先週より距離は走ったのですが、SP武川オイルポンプキットへの交換とT-REVmini装着とG3オイルのお陰か、先週の様なオーバーヒート気味の症状は皆無。エンジンは最後まで快調で帰って来ることが出来ました。 次回はもっと長距離に挑戦したいと思います。お尻対策 ・・・
結論から言えば、グロムくんはフルボッコ状態となりました(+_+) 今回の日帰りツー8氏(エイプね)が仕事の都合で不参加となった時点で他のメンツが「BMで来い、BMで!」と、やけにそそのかすワケなんですが... こっちはしばらく前から、にぎにぎすると左腕に鈍痛が走る状態(;一_一)こんなんじゃベムのクラッチ操作辛いっつーの!グッて引っこ抜いたらサイコガン出てくんじゃね?みたいな痛みとれないので必然的にグロムくんで出陣決定です。 待ち合わせ場所、某吉〇家駐車場で待っていると...オフ車2台のお出まし、トリッカーとXLR250R (@_@) 奴らにオイラのバイクに合わせろ!と期待したのが間違いでした ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・