ホイル焼きを考えた人は天才.アルミホイルが無い時代はどうしていたのか?アルミホイルが登場してから編み出された調理法なのか?具材の旨味が全部スープになってホイルの底に溜まるのよね.だいたいそれを吸う玉葱とかが配備されている.つまり主役はその吸うヤツなのよね.鍋の白菜と同じ.メインのステーキ.もちろん飛騨牛.霜降のような柔らかさではなく,適度な肉々しさが良いね.そして〆はカレーライス.やっぱりこういうところのカレーは食べたい.量はだいぶ絞っていただきました.
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4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
※2016年のツーリング日記です。2016年2月21日(日)日本の中でもなかなか走りに行けないツーリング先、沖縄。仕事では何回か訪れたことはあるが、いつかはバイクで、と思っていた。フェリーを調べてはみたものの、神戸から片道40時間のうえ出港日も限定されているので、レンタルバイクを探してみた。ネット検索すると、レンタルバイク・キズキの加盟店が3店ヒット。その中から、バイクのラインアップが豊富で那覇空港から最も近い那覇空港店に決定し、バイクはのんびり走るのに向いているカワサキW800をチョイス。650ccのときから気にはなっていたけど、800ccになってさらに魅力が増したように思う。この機会に乗っ ・・・
ひと月待ちで届いたエアフィルターを交換、吸気音も新たに御嶽山7合目「田ノ原天然公園」を目指し6時に出発。 中津川まで高速を使用し、その後はひたすら国道19号線・・・「寝覚の床」で本日初の休憩。 何度か通った道でしたが立ち寄りは初めて・・・どんなとこか?と掲示板を見るとなんと「日本五大名峡の一つ」との事。 これは見ずにはいられないと勾配のある下り坂を降りて観賞。 「浦島太郎伝説」の有る無しに関わらず素晴らしい景観に感動。 戻りの坂道は息切れをするほどキツイものでしたが一見の価値はありました。 息を整え再スタート、土曜日の割に交通量も少なくあっと言う間に王滝村へ到着。 少しきつめのワイディングを抜 ・・・