山口県の新しいトライアル場で初開催されたMFJ公認大会に出場してきた。雨の中、いつもの顔ぶれが「道楽山」に集う。私のEvoも新しいリアフェンダー&デカールで準備万端だ。
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Met with some good friends from work and headed out up into the mountains. went to the local dam and then went on to go take some pictures. We then went further up the mountain to a place called American diner then after some good food we went to the rider spa and rest area then back home.
新車で買える国内メーカーのオフ車が無い! ZXR750H1を手放して懐に転がり込んだ売却代金!このご時世、蓄えておくのが正解なのでしょうが「アレコレ買っちゃえ!」となるのは必定?wしかし、小出しの戦力投入は各個撃破の憂き目に遭うのが相場!しかし今どきZXR750H1を購入した時の価格で手放したので、大物を狙うには軍資金不足・・追い金を工面したら何とか手が届きそうだったKLX230もカタログ落ち、コンペティションモデルのKLX230Rの方なら注文可能?その辺りをKawasakiのプラザ店に訊きに行ったら、なんか小さいのが置いて在る。 小さいのは全く眼中にも候補にも入ってなかったけど、よく見たらチ ・・・
TS50Wハスラーのギア抜けが酷くなったのでギアオイルを交換しましたが、まだ試走していなかったのでコミネの「HK-172 FL」の再確認も兼ねて夕方から走りに出掛けました!しかし調子よく農道でアクセル全開にしてたら「ガス欠!」と云ってもリザーブコック付いてるので切り替えれば良いんですが、古くなる前に予備タンクのガソリンを入れてしまおう!と思わなければ良かったw コックを切り替え予備タンのガソリンを注ぎ入れ、こんな時間から特に行くような良いとこも無いのでUターン!ガソリンスタンドに着き現金1,000円分/6Lに設定して入れ始めたら・・全部入らない!油面が下がらないぐらいギリギリまで入れても「 ・・・
タイヤとカーボンヘルメットの試用の為に、お昼過ぎから約40日ぶりにMOTO GUZZI V9BSで走りに出掛けましたが、いつもの様に目的地も決めずにフラフラ走り回り「これは遺憾!」と鈴鹿スカイラインにでも行こうと山の方へ向きを変えたものの、既に安土の辺りまで北上していたので「道の駅 奥永源寺渓流の里」についてしまった・・w(写真1枚目)ここで帰っても良いけど折角なので・・と思い、ハンドルのバランスをとるために水を買って直ぐにトンネルを越えて三重県へ入り鈴鹿スカイラインへ・・「来るんじゃなかった!」コーナー毎に川が流れている感じ、しかも落ち葉なんかも落ちてるから「また派手に汚れる!」走ってても面 ・・・
SHOEIの「J-FoeceIII」の経年劣化に対し、色々なジェットヘルメットを購入してみるも「いまいち・・」原因は簡単!素直に「J-FoeceIV」にでもしておけば良いのに、少しのお金をケチって彼是と手を出して大損の沼にハマり込むと云う・・wそんな訳で、近頃はインカムで音楽を聴くのに適した静かなフルフェイスを専ら被っていたのですが、そのOGK「RT-33」を長時間(と云っても3時間とか)被っていると段々首が痛くなってくる!Lサイズで公称重量「1520±50g」と軽い筈の「RT-33」で首が痛くなるのは自身の経年劣化で、首周りの筋力が低下して来たのが最大の原因だと思いますが「何とかしたい・・」 ・・・
土曜日の午後三時を過ぎてからコミネのヘルメットに仕込んだインカムのスピーカーで音楽が聴けるのか?テストにTS50Wハスラーで出掛けての帰路、音楽が途切れ聞き覚えのある呼び出し音が鳴るもSHOEIの「J-FoeceIII」ほど静かではないので道端にTS50Wハスラーを止めて悪友SP君からの電話に出て暫し密談w 翌早朝五時、まだ日の出前で暗い中、軽バンの格安レンタカーに乗り込み下道を走り続け、四日市を過ぎた辺りからちょっとだけ高速に乗って到着したのは「幸田サーキットyrp桐山」PITは悪友SP君も昔乗ってたGPZ400Rさんのお隣に入れて頂きました。PITエリアが狭いのでクルマは上の駐車場へ、入場 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・