熱中症寸前になりながらも一度は刈った雑草が、雨と晴れのコンボのお陰でまた茫茫に!二度目の草刈りも死にそうになりながらwなんとかかんとか九割方は終わって「もう少し!」と言うところで草刈り機の調子が悪くなり、始動性が悪くなりトルクも無い感じ。そしてついに始動そのものが出来なくなってしまった!取り敢えずプラグを確認してみたらシリンダーの中が心配になってw「絶対に溜ってるな!」とマフラー外してみたら・・(;´Д`)アワワ‥
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先日、コミネのジェットヘルの具合を確かめがてら近江神宮まで参拝心しに行った際の行き帰り「ギア抜けの頻度が多くなってるので非常にうざい!」根本的な原因究明と対策は(邪魔臭いのでw)また別にするとして、取り敢えず久々にギヤオイルを交換をしよう!先日のGUZZIに使ったMOTOREXのギヤオイルの残りでは足りないのでシグナスX用のヤマルーブのギヤオイルを使用(鉱物油だけど安いしw) 前回の交換は2年と3ヶ月ほど前、抜いたギヤオイルはこの前のGUZZIの時と似た色ですが、GUZZIの時ほど臭くない!w前回交換時の日記を読み返してみたら、スズキのギヤオイルを入れている途中でドレンボルトを締め忘れているの ・・・
先日、注文してから約1年漸く届いたMOTO GUZZI V9Bobber Sport のサイドカバーですが請求明細が明らかになったので部品単価の結果発表! サイドカバー左右共に部品単価 1個 45,000円(税別)・・ (;´Д`)/「予想の最大部品単価より3割近く高かった!」ギャフン! 確かネームバッチ無しの無塗装のサイドカバーが21,500円(税別)だった筈なのですがwオレンジの特別塗装に黒のカッティングシートとSportのデカールにV9の部分が赤になったネームバッジを貼っただけで倍の単価に!w そして「何で来ないの?」とあれこれ考えて「モノが無いの?」かとも思ってましたが届いた部品に貼 ・・・
各部オイル交換の作業の次はフロントブレーキパッドの確認!昨日からフロントスタンドが掛かっているので何も考えずに先ずはフロントホールを外して・・とシャフトを引き抜こうかと云うぐらいになって「果て、なんでフロントホイール外してるんだっけ?」小径ホイールなのでキャリパーが引っ掛かりますがそれは外しても同じなので、パッドピンを抜いてパッドを引き抜いたらホイール外さなくても外せますしなんで「ホイール外さないと!」と思ったんでしょうw2本のパッドピンを留めている極小スナップピンを外し(×2)ピンを引き抜き、カバーとパッドを取り外すとキャリパーがあっさり外れましたがなんか「パッドの端っこが欠けてる?」w
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・
もう少ししたら車検の準備をしないといけないMOTO GUZZIV9BSのリアタイヤが、まだ換えてから5,000kmほどしか走ってないのにリアだけ予想外に減ってしまい、次のタイヤは何にしようか?無難にミシュランのコマンダーにしておこうか?それとも中華TIMSUNティムソンのハイグリップタイヤを人柱で試してみようか?w高過ぎるけど・・などと思っていたところハーレーのフォーティエイトだけじゃなくて、ホンダのレブル250/500も同じタイヤサイズだと知って調べてみたら、丁度IRCがレブルを対象にしたタイヤを出したところだと云うことで!値段も安いしなによりレブル向けに設定されており「これはサイド剛性も低 ・・・
古い写真を発掘したのでご紹介シリーズ!?w時は、ちょうど20年前の2002年3月19日現地時間で12時ごろwいつものお得意先の視察旅行ですがBRABUS社屋の中から、地下の秘密ガレージまで大盤振る舞いでしかも重役の方に案内されて全て見せて貰いましたがそれが何故か?と云うと我々の視察団長がBRABUS創業オーナーのボード・ブッシュマン(Bodo Buschmann)氏とお友達だったから!そんな人と、どんな伝手でお友達になったの?と訊きましたら飛行機で偶然隣同士になって話したら「意気投合!」w視察団長はFerrariF40を持ってたこともあるクルマ好き!で某ワークスのスポンサーもされてたので話が弾 ・・・