やっとこさ年休とった日に天気に恵まれたので、上石津の林道にきました。ベースキャンプ地に荷物を置いて身軽に走ってきました。前回は工事で半分走れませんでしたが、今回は奥の鉄塔、更に奥の行き止まりまで40kmのダートを楽しんできました。
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余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、宮内庁が治定した、三重亀山市、能褒野王塚古墳と、伝説の白鳥塚古墳の探索に行ってきました!こんなに近所に2つの説の古墳があることを知りませんでしたが、白鳥塚古墳の方が、本物でないかな?なんて・・・。能褒野王塚古墳は、現在の亀山市能褒野町の近くにある、巨大な前方後円墳ですが、鈴鹿市にある白鳥塚古墳はちっぽけな、帆立貝式古墳なんで、天皇の皇子であるヤマトタケルが小さいお墓では、まずいと考えた宮内庁が、被葬者不明をいいことに、勝手に治定したのではないかと・・・。急激に弱って、亡くなったのですから、緊急にお墓が必要なので、物理的に考えても、小さいお墓が正解ではないかと・・・。改めて大阪の羽曳野市 ・・・
岐阜関ヶ原からの帰りに気になったので、立ち寄ってみました!やっぱり、なんとなく、根拠ないですが、滋賀のラピュタより迫力があるよううな?立ち入りはできませんが、滋賀のラピュタと同じように、目の前の川の中には、入れるので、わりと近くまで行けます!それと、三重県の天然記念物「篠立風穴」(入り口のみ)まで見れます!三重県いなべ市にあった鉱山跡で白石藤原鉱山又は藤原鉱山とも呼ばれている。炭酸カルシウムの需要の増大に対応して1921年(大正10年)に桑名工場は創業を開始。1969年(昭和44年)閉山。現在は立ち入り禁止。(馬鹿が入って事務所跡建屋を燃やした)今では見れない貴重な写真をUPされてる方のHPを ・・・
今回は、三重伊賀市にある「霊山」に2度目の登頂! 前回は、台風通過後すぐだったので、路面は荒れ、濡れ、恐怖を感じながら上り下りしましたが、今回は、爽快快走で、登山を楽しんできましたが・・・また、調子に乗りすぎて・・・(泣)、高い授業料を払う羽目になってしまいました!霊山は、宗教色が強い、山頂には、中世期大伽藍があったそうで、天台宗の最澄さんが絡んでいたそうです。名阪国道伊賀のドライブインの裏手から林道を登っていきます。一本道なので、迷うことなく、上がっていけるのですが、モンキー125クラスでは、1速、2速多用しないと登りません!新型モンキーだと、シフトチェンジが頻繁になるような気がします。