こんにちは!ホンダドリーム焼津です 昨日、今日と店頭試乗会を開催させていただきました! 昨日は1日中天候もよくバイク日和でしたが、本日は午後からあいにくの天気に…。 昨年10月のオープンイベントを除き初めての店頭イベントにとてもドキドキしていましたが思っていた以上の反響をいただき、多くの方に試乗していただけました! ご来店、ご参加くださった皆様ありがとうございます!!
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ZX-25Rで毎度の伊豆方面ですが、丁度、桜が満開なんですかねー。どこもかしこも、桜の花びらが若干散りだしていて、良い感じでしたよー。道の駅”月ヶ瀬”からR136号線で、途中で西伊豆スカイラインへ抜け、県道127号線方面です。今回は、チャレンジで、127号線の真城峠=さなぎ峠から戸田方面に抜けられる(走って分かりました)山道をひたすら、心細くなりながら走りました。この時も、伊豆の山々に咲く桜が、見え隠れして、ほぼ下りきった時に、後方を見ると3枚目の写真のごとくで、しばし、見とれてしまいました。戸田からは、県道17号線で、西伊豆のワインディングを堪能でした。途中、¥200の訳ありミカン1袋や、明 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、宮内庁が治定した、三重亀山市、能褒野王塚古墳と、伝説の白鳥塚古墳の探索に行ってきました!こんなに近所に2つの説の古墳があることを知りませんでしたが、白鳥塚古墳の方が、本物でないかな?なんて・・・。能褒野王塚古墳は、現在の亀山市能褒野町の近くにある、巨大な前方後円墳ですが、鈴鹿市にある白鳥塚古墳はちっぽけな、帆立貝式古墳なんで、天皇の皇子であるヤマトタケルが小さいお墓では、まずいと考えた宮内庁が、被葬者不明をいいことに、勝手に治定したのではないかと・・・。急激に弱って、亡くなったのですから、緊急にお墓が必要なので、物理的に考えても、小さいお墓が正解ではないかと・・・。改めて大阪の羽曳野市 ・・・