京都、能登、越後と巡るドライブ、いよいよ最後の越後(妙高高原)へ向かいます。ここ(能登千里浜)から、日本海側の上越道で約200km・3時間の道のりです。 ルートは「能登半島横断→高岡市→北陸道→妙高市」、雪が降らないことを祈りつつ出発(2023.11.29)<写真=妙高高原(新潟県)のホテルにて>
- 8 いいね
- 6 コメント
おはようございます本日の滋賀県は曇りだったのに雨が(´;ω;`)そんな中でも当店の親愛なるお客様がご来店頂き帰って行かれました♪♪そんなお客様の息子さんのおバイク!!ヤマハ MT-07の前後タイヤ交換とリヤディスクブレーキのディスクの交換をさせて頂きました(^^♪合わせてブレーキのマウントボルトとバンジョーボルトの締め付けトルク確認も実施??大事ですからね♪♪っていう事で今日のもんちゃんの予定はカワサキ、バルカンの点検作業開始し、エリミネーター250SEと250Vのエリミネーター2台同時作業開始うちのまえちゃんの予定は販売車両の原付のVOXの車両整備となっておりますオイル交換や原付のタイヤ交換 ・・・
メモ行き先 自宅→のと里山空港IC→道の駅 狼煙→道の駅 赤神→自宅タイヤ空気圧 前後標準 調整アブソーバー減衰 前後スポーツODOメーター 20570km~20604km(洗車) 20604km~20888kmオートシフター利用燃料 携行缶から補給 9.6L 平均燃費33.1km/L外出6.8時間。内5.5時間走行。平均速度57m/h 283km走行早朝から雨音。日曜日を楽しみに平日を過ごしている者にとっては残念な天気。週間天気予報の休日に晴れマークが付くか?降水確率は?と気にして生活しています。日曜の予報は晴れ・曇り予報だったのにいつの間にか曇り・雨マークに替わって ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
メモ行き先 自宅→道の駅 中島ロマン峠→道の駅 狼煙→道の駅 赤神→自宅タイヤ空気圧 前後標準 調整アブソーバー減衰 前後スポーツODOメーター 20274km~20570kmオートシフター利用燃料 携行缶から補給 9.2L 平均燃費32.1km/L外出7.3時間。内5.9時間走行。平均速度50m/h 296.3km走行先週は所用で乗れませんでした。今日は岐阜のせせらぎ街道へ行く心算でした。が、岐阜方面は午後から雷雨マーク予報。せせらぎ街道は諦めて今日は安定の能登半島です。珠洲市で昼食を取り輪島手前で軽く腹痛。道々の温度計は37℃。熱中症対策に水分を取り過ぎてるのかな?と考えましたが単純に昼食 ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・