暑い日が続いていますが、早朝は空気がひんやりしてきました。朝、頑張って早起きして、福島は白河にお城を見に行ってまいりました! 道中の気温は24℃とかで、メッシュジャケットでは寒いくらい。前の晩、早寝しといてよかった♪
- 1 いいね
- 0 コメント
本来は4月に予定されていたSPA直入サーキットランフェスタでしたが、新型コロナの影響で延期となっておりましたが、無事8月2日に開催する運びとなり参加してきました(^_^)前日は22時過ぎには布団に入り、朝は4時半に目覚ましをかけて寝ようとするも・・・なんと30分おきに起きる始末(^^;最初は寝たと思って目がぱっちりで24時手前(^^;次も30分おきに目が覚める・・・まるで遠足前の子供状態(笑)で、結局4時になった時点で目覚ましキャンセルでゴソゴソ準備をしていざ出発の前に装備の確認やらなにやらしていたら出発は5時過ぎてしまいました(^^;で、1時間ほど走り宇佐市内のコンビニで一休み(^_^)
◇ 羽後町の文化について 西馬音内地区のある秋田県羽後町は、700年以上の歴史を誇り国の重要無形民族文化財に指定された「西馬音内盆踊りが有名です。毎年8月16~18日の3日間で10万近い観光客が来ます。それ以外にも多くの名物があり、その1つに真冬にも冷たいタレをかけて食べる「冷がけそば」の食文化があります。何でも町内最古のそば店の店主が200年前に大阪の「砂場系統」のそばを習い、持ち帰ったとされます。◇ 西馬音内そばの特徴 麺の白い更級と黒い藪の中間で、砂場そばと違うのは、つなぎに「ふのり」を使っていることです。見た目にも冷えていることがわかり、そばつゆもツヤツヤでキラキラしており、麺も細切り ・・・
◆ 昔の話です この店は栃木市北部の閑静な住宅地にあって、常に佐野ラーメンの影響を受けて「塩ラーメン」で対抗すべき孤軍奮闘して、ラーメン好きな方を受け入れて来ました。でも一般の方にはどうでもいいことでした。都会なら熱心なマニアで商売が成立しますが田舎ではそうはいきません。そこで店主は昔の店名「駿河」を「するが」と改め、栃木市の南部の幹線道路に位置する場所に2014年4月に移転して参りました。◆ 今の味です 昔の味から、佐野ラーメンに慣れたであろう客層に「生姜」を入れて新しい味に変化させてきました。しかも昔小さかった餃子も大きくし、味もあっさりと濃厚、つけ麺と変化をもたらしました。これにはたまり ・・・
☆ 被災地のラーメン店 東松島市出身の店主が東京からUターンしラーメン店での修行を終え、この地にラーメン店を開店したのが2015年の3月でした。東日本大震災の被災地である石巻地方では、初の二郎系(二郎系以外もやっている)ラーメン店です。☆ 4割を占める女性客と子供の客(何故なの) 具はモヤシ9対キャベツ1割でトッピングされており、シャキシャキして食感がたまりません。麺は茶褐色の太麺でやや縮れており、コシがあってちょっと固めであり、ギトギトしたスープにも負けていません。スープは背脂入りで、粘度が薄くて油っぽくもなく、サラッとしています。他の二郎系に比べるとパンチ力があまりなく、一般受けするスープ ・・・
◎ ウンチク 2007年に3115メートルの早坂トンネルを含むバイパス6.2キロメートルが完成して同じ時期に完成したのが「道の駅三田貝分校」です。ここは実在した小学校の分校跡地に、当時の建物をそのまま利用してリーホームし、立ち寄ったお客様が当時を懐かしく思い、ほのぼのとした気持ちになってもらいたいとの思いが込められています。◎ 名物定食、ラーメン等 岩泉町の特産品販売と分校の定食等を当時の机をそのまま利用し、さらに奥座敷まで用意して給食のおばちゃんから呼び出されて、注文したラーメン等を取りに行きます。本当はこれに岩泉町の牛乳が付くのですが、あいにく売りきれてしまい、代わりに岩泉名産の缶コーヒー ・・・
北海道からの帰りの日は、函館発11:35発15:25青森着のフェリーに乗って帰ってきました。途中函館港近くのラーメン店で食べようと思いましたが、バイクは出港1時間前に手続きを終えて積み込まなければならず、開店前なので諦めました。それでも青森港についてから食べればいいやと思っていましたが、あいにく土砂降りの雨だったのでこれも諦め、ただひたすら雨にも負けず東北道を南下して帰路につきました。 ひたすら南下すること3時間半、やっと宮城県に入ったら安心して急に空腹となり、雨も既にあがってこともあって宮城県の名店「味よし」が入っている金成パーキング上り線の軽食コーナーで昼食兼夕食をとることとしました。こ ・・・