これまで静岡県~愛知県へと走り、長久手市のトヨタ博物館に立ち寄り 歴代の名車を見学しました。それでは 今日の宿泊地・滋賀県 栗東(りっとう)市を目指します(2023.11.18)
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熊野古道大辺路を巡る旅の後編です。前夜は少し飲みすぎましたが、たっぷり寝て元気回復して、熊野古道ラストディを走ります。A地点まずは、串本のホテルを出て奇岩の立ち並ぶ観光名所「橋杭岩」に立ち寄りました。大辺路はこのあたりは海岸線を辿るルートなので、熊野詣で大辺路を歩く旅人もこの姿を見たことでしょう。なお、この橋杭岩にも御多分に漏れず弘法大師の伝説が...その昔弘法大師が天邪鬼と串本から沖合いの島まで橋をかけることが出来るか否かの賭けを行った。弘法大師が橋の杭をほとんど作り終えたところで天の邪鬼はこのままでは賭けに負けてしまうと思い、鶏の鳴きまねをして弘法大師にもう朝が来たと勘違いさせた。弘法大師 ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・
今回は、宮内庁が治定した、三重亀山市、能褒野王塚古墳と、伝説の白鳥塚古墳の探索に行ってきました!こんなに近所に2つの説の古墳があることを知りませんでしたが、白鳥塚古墳の方が、本物でないかな?なんて・・・。能褒野王塚古墳は、現在の亀山市能褒野町の近くにある、巨大な前方後円墳ですが、鈴鹿市にある白鳥塚古墳はちっぽけな、帆立貝式古墳なんで、天皇の皇子であるヤマトタケルが小さいお墓では、まずいと考えた宮内庁が、被葬者不明をいいことに、勝手に治定したのではないかと・・・。急激に弱って、亡くなったのですから、緊急にお墓が必要なので、物理的に考えても、小さいお墓が正解ではないかと・・・。改めて大阪の羽曳野市 ・・・
岐阜関ヶ原からの帰りに気になったので、立ち寄ってみました!やっぱり、なんとなく、根拠ないですが、滋賀のラピュタより迫力があるよううな?立ち入りはできませんが、滋賀のラピュタと同じように、目の前の川の中には、入れるので、わりと近くまで行けます!それと、三重県の天然記念物「篠立風穴」(入り口のみ)まで見れます!三重県いなべ市にあった鉱山跡で白石藤原鉱山又は藤原鉱山とも呼ばれている。炭酸カルシウムの需要の増大に対応して1921年(大正10年)に桑名工場は創業を開始。1969年(昭和44年)閉山。現在は立ち入り禁止。(馬鹿が入って事務所跡建屋を燃やした)今では見れない貴重な写真をUPされてる方のHPを ・・・
今回は、三重伊賀市にある「霊山」に2度目の登頂! 前回は、台風通過後すぐだったので、路面は荒れ、濡れ、恐怖を感じながら上り下りしましたが、今回は、爽快快走で、登山を楽しんできましたが・・・また、調子に乗りすぎて・・・(泣)、高い授業料を払う羽目になってしまいました!霊山は、宗教色が強い、山頂には、中世期大伽藍があったそうで、天台宗の最澄さんが絡んでいたそうです。名阪国道伊賀のドライブインの裏手から林道を登っていきます。一本道なので、迷うことなく、上がっていけるのですが、モンキー125クラスでは、1速、2速多用しないと登りません!新型モンキーだと、シフトチェンジが頻繁になるような気がします。
ひと月待ちで届いたエアフィルターを交換、吸気音も新たに御嶽山7合目「田ノ原天然公園」を目指し6時に出発。 中津川まで高速を使用し、その後はひたすら国道19号線・・・「寝覚の床」で本日初の休憩。 何度か通った道でしたが立ち寄りは初めて・・・どんなとこか?と掲示板を見るとなんと「日本五大名峡の一つ」との事。 これは見ずにはいられないと勾配のある下り坂を降りて観賞。 「浦島太郎伝説」の有る無しに関わらず素晴らしい景観に感動。 戻りの坂道は息切れをするほどキツイものでしたが一見の価値はありました。 息を整え再スタート、土曜日の割に交通量も少なくあっと言う間に王滝村へ到着。 少しきつめのワイディングを抜 ・・・