飛騨高山、雪国のハズなのに元旦に走り初め出来ました。
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Vストのチェーン交換をしたんだが 整備日記 っていうのが出来てるからこっちに上げてみた 先日のVストミーティングでチェーンがだるだるに伸びてしまった理由がわかった10/13にチェーンのメンテナンスをしたんだけど、その時にチェーンクリーナーでなくてパーツクリーナーで清掃をしたような気がしてる多分パーツクリーナーでシューシューやったような覚えがある そんなわけでチェーンを純正からDIDの520DZ2のゴールドチェーン116リンクに交換 520DZ2はノンシールでオフ系の250とかでよく使われてるやつジョイントはめんどくさくないクリップジョイントタイプ 自分もモンテッサやRTL250で使ってて安くて ・・・
以前、頚椎ヤった時にバイクは全て処分して、アルミラダーも売り飛ばした… 何とか再復してもウラルサイドカーは車載するのは至難の業 だいたいライトエーストラック以上が無いと荷台には積めないのだ が、ハンターカブは車載も容易い 軽バンでもフロント回りを何とかすれば積めるが、凄まじく煩雑なのでやらないω で、軽トレーラーを買って、手抜きして庵に転がっている足場板をスロープにしたが… 素のままでは動いて安定せず凄まじく使いにくい のでゴムブロックをボルト固定して極力コストを掛けずに対策 400円位のゴムブロックをオーダーし、穴を穿ちM6ボルトとセルフロックナットで締結して完成 軽くテストしてみた ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・