4年ぶりに佐渡にツーリングに行ってきました。 前回行ったのがちょうどラグビーワールドカップの日本大会開催中だったので、4年ぶり。前回のツーリングの思い出が色々良すぎて、また行こう、また行こう、と話してはいたものの、コロナで中止。 前回のメンバーに自分の妻(タンデム)ともう1名の新規メンバーで6名で佐渡に行ってきました。
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余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・
今回は、戦国時代のゴルゴ13といわれる杉谷善住坊が信長を狙撃したポイントを探索してきました!信長公記にも記載されています!信長公記 巻三遭難行路 千草峠にて鉄砲打ち申すの事 5月19日、浅井長政は鯰江城(現滋賀県愛東村)に軍勢を入れ、同時に市原(現永源寺町市原野)に一揆を蜂起させて岐阜へ下る信長公の行く手を阻んだ。これにより信長公は近江路を断念せざるをえなくなり、日野の蒲生賢秀・布施藤九郎・香津畑(現永源寺町甲津畑)の菅六左衛門の尽力を得て経路を千草越え(近江から伊勢へ抜ける経路)に変更した。 そこへ刺客が放たれた。六角承禎に雇われた杉谷善住坊という者であった。杉谷は鉄砲を携えて千草山中の道 ・・・
とうとう北陸も梅雨入りし、オイらの残された時間も、あと僅か…。まだまだ「愛車(バイクの方)」で走っていないところが、あちこちに…。2~3日前から、今日(18日)は「晴れる」かも…。ならば、「走らなにゃならん」でしょ!そう考えていた矢先に、「魚沼スカイライン」の冬季通行止めが『全面解除!』…という知らせが!例年、6月中~下旬なので、間に合うかどうか、気を揉んでたんですよ。…なので、行先は、魚沼市の「魚沼スカイライン」に決定!車では何度も来ていたけど、バイクでは一度も走ったことがない…(まあ、名前の割に、あまり「走り」を堪能できる道ではないんですが…)あまけに、ここは、バイクと景色を一緒に撮れるポ ・・・