美濃市から南下し、初日・2日目の宿のある関市に到着。 まだ時間にも余裕があるので、R418を西へ。途中でR256に入って北上し、道の駅・ラステンほらどへ。 洞戸からはR418に戻ってひたすら北西へ走ります。ここから本巣市まで道が狭かったこともありかなり長かったですね。 それでも、酷道界で有名な温見峠手前の道の駅・うすずみ桜の里ねおへ閉店少し前に無事に到着。正直、初日でここまでたどり着けたのはかなり大きかったです。
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土曜日に病院2か所いって午前中が埋まった 午後から部屋の掃除しようと思ったが、明日は高校からのダチとツーリングにいくのでツーリングプランに申し込んだ、2日間あるし、走りに行くか!とすべてを投げ出してPS250にETCカードをぶっ挿して出発 二日間2000円はいいけどちょっと範囲が狭いのよねぇ名二環乗れないのもイマイチ 名古屋→郡上八幡までサクッと高速で移動道の駅めいほうでフランクフルト他を食べるウマウマ 写真を撮りたかったがバイク置き場のところの銅像の前でずーーーーーーーーと電話してるおっさんがおって取るの無理ィってなってあきらめてこの角度 戻って下道を南下、256号でモネの池を横目に山県、岐 ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・
今日は周遊割引で、岐阜をぶらり。 最初は郡上へ。 といってもどこにも寄らずに国道を東の下呂方面へ。 下呂にきたら一度は行きたかった鶏ちゃんで有名な杉の子へ。 到着時はお客さん2名で、すぐのご案内。即鶏ちゃん登場。定員のおばちゃんにご飯のあとはやきそばがおすすめって言うので〆はやきそば。鶏ちゃんはタレがよく、野菜の水分でしゃびしゃびにならず焼きそばにしてもおいしかったです。 食後は、下呂から東の中津川へ。 今の季節はやはり栗なので栗きんとん♪っとなったが止まるのがめんどくさくなって結局、明宝ジェラートに。味は和栗とチョコレート。うん!おいしい! 中津川から中央道で帰路。 帰りに赤男爵行ってオイル ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・