3月31日 今回の山陰の旅の最終日となりました。 浜田から益田を経由して萩に向かうつもりが、無意識というか条件反射的にいつの間にか津和野に向かっていました。(^^;津和野に近づいて道路標識に「津和野」という文字が見えだしたところで、ルートを間違えたことに気が付きましたが、すでにアフターカーニバル...(--)C地点 津和野 am8:30仕方ないので津和野市内を少しぶらついて、萩に向かいました。(^^;
- 6 いいね
- 25 コメント
今年のシーズンが始まっても走りに出掛けたのは直ぐ近くの道の駅までの試走3回3往復のみw流石に「このまま帰るのも・・」と3回目の試走の時はもう一度琵琶湖大橋の方まで行って帰って来ましたが、流石に「ここのところ天気も良いのに1度ぐらいはツーへ・・」と思うも滞っているZZR250の整備や塗装作業をしないといけないし、当初の予定からかなり手抜きしたブースで「こんな感じで塗ろうかな?」と吊るしてみたけど「天気良いのに風が強い!」ので3mm厚のアルミ板で作り直したステアリングダンパーのステーの出来具合を確かめる試走を兼ねて「今年初のビワイチ」へ、いつもの様に出遅れて午後3時ごろに出発! ※試作ステーと厚み ・・・
土曜日の午後三時を過ぎてからコミネのヘルメットに仕込んだインカムのスピーカーで音楽が聴けるのか?テストにTS50Wハスラーで出掛けての帰路、音楽が途切れ聞き覚えのある呼び出し音が鳴るもSHOEIの「J-FoeceIII」ほど静かではないので道端にTS50Wハスラーを止めて悪友SP君からの電話に出て暫し密談w 翌早朝五時、まだ日の出前で暗い中、軽バンの格安レンタカーに乗り込み下道を走り続け、四日市を過ぎた辺りからちょっとだけ高速に乗って到着したのは「幸田サーキットyrp桐山」PITは悪友SP君も昔乗ってたGPZ400Rさんのお隣に入れて頂きました。PITエリアが狭いのでクルマは上の駐車場へ、入場 ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・