俳句の達人、「奥の細道」の作者、松尾芭蕉さんの謎を追って、後半ツーリングのスタートです。国道163号や、国道25号(非名阪)を通ると、松尾芭蕉生誕地の看板が2か所あるのに気づきますか?伊賀上野近辺と、柘植(つげ)のあたりなんですが・・・。今回は、この謎を解明しようと・・・
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日曜日、少し出遅れるも朝七時過ぎにガレージ出発!どのルートにしようか?鈴鹿スカイラインから三重に抜けまた鞍掛峠で滋賀に戻ってくるルートにしようか?・・でももう暑い!やっぱり「そのまま北上しよう・・」本日の目的地は彦根方面なので手っ取り早くいつもの様に琵琶湖沿いを北上! ・・まだ九時前なのに、もう彦根城付近に到達!「シマッタ!早く着き過ぎた・・」まだお目当ての目的地は開いてない時間だったw 仕方が無いので、そのまま北上し暑いので涼を求め県を越え長いトンネルの中で寒いぐらい涼み到着したのは岐阜県の道の駅「星のふる里ふじはし」お腹が空いていたので楽しみにしていたお蕎麦屋さん「なんか店名が変わってる? ・・・
2022/07/13 PM1600年関ヶ原で、西軍の敗戦が決し、島津勢は退却するにあたり、敵中突破し、豊久はこの戦闘において殿軍を務めたが、東軍の追撃は激しく島津隊も多数の犠牲を出した。井伊直政勢が迫り、鉄砲を一度放って、あとは乱戦。豊久は義弘の身代わり(捨て奸)となって、付き従う中村源助・上原貞右衛門・冨山庄太夫ら13騎と大軍の中へ駆け入った。薩藩旧記雑録には、「鉄砲で井伊直政を落馬させ、東軍の追討を撃退。島津豊久、大量に出血」という内容が記されている。一説によると、豊久は重傷を負いながらも義弘を9km近く追いかけ、瑠璃光寺の住職たちや村長が介抱したが、上石津の樫原あたりで死亡し、荼毘に付さ ・・・
5月2日は悪友SP君と鈴鹿スカイラインを通って上石津町の「宮崎屋製菓舗」に行き和菓子を買い込みまた306号線で鞍掛峠を越えて滋賀県側に戻るもSP君のハスクに一瞬で千切られ、直ぐに姿見えずwついて行こうとしたら車体を寝かせるしか無いけど「擦る!擦る!」その足でお仲間のフィールズさんのところへお仕事中なのにお邪魔!「宮崎屋製菓舗」の手土産で許して下さい!wその後、お子さんの送迎時間が迫ったSP君にまたもや千切られ大中の干拓地過ぎた辺りから一人で帰る羽目に・・(;´д`)トホホ…5月4日 軍事遺構シリーズ?w「鈴鹿海軍工廠 関防空工場 地下壕跡」へ行くついでにまたもや鈴鹿スカイラインを通り、お下劣に ・・・