北勢町で美味しそうな林道をyoutubeで見つけたので行ってみましたが、ガッチリとゲートが。ナビで調べながら周辺を探索するもチェーンや雑草に覆われていたり、1本だけ見つけましたが距離もそれほど長く無く、気がついたらお昼時。
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台風の影響で夕方からの天気が悪くなりそうなので、午前中で帰ってこれる範囲でツーリングです。場所は各務原大橋の辺りで先月行った場所の対岸です。名古屋でバイク乗ってて10年以上経ちますが、自宅から1時間以内でこんなにダートを走れる場所があったのを知らなかったのが恥ずかしいですね…そして今回はバイクに勲章が増えました。石がゴロゴロの上り坂を登りきったところでバランスを崩し転倒、外装の擦り傷以外はレバーとペダルが曲がった程度です。 1時間半くらい河川敷を走ったころには汗だくです。オンロードツーリングだともっと距離と時間をかけたくなるものですが、オフだと短時間で満足度…というか疲労がたまるので今日のよう ・・・
今日で盆休みは終わり明日から仕事なわけですが、最後にもう一回くらいツーリング行っとくか~ということで、半日で行って帰ってこれそうなところに行きました。 バイクで走れそうな河原ないかな~とgooglemapで探してたところ愛岐大橋の西側に走れそうな道があったので行ってきました。基本的にはフラットダートで川の近くにアクセスできる道は林の中を通り抜けるようになっていてちょっとした冒険気分が味わえました。 2枚目写真の水門の辺りで休憩してるとKTMっぽいバイクに乗った人が堤防の斜面を軽やかに上って通り過ぎって行ったのですが…いいなぁ~かっこいいな~でもヘッポコの私は失敗してこけたら大変だからマネできん ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・