V-STROM250SXにて三河方面へパンツーです 実は三河方面は小麦の産地、それもパンやウドンに適したものなので当然この地方でのパンは旨いはず 今回は今まで行った事のないパン屋さんへ 商品のパンだけでは無く店舗の見た目がメルヘンチックな店を厳選? ランチは幡豆地方のご当地グルメ「はずめし」を頂きました
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元旦の作業と能登半島地震からひと月以上の時間が経ちました。暇が出来たのでR100Sの燃料コックをO/Hしました。満タンで1週間程停車しておくと、タンク内の燃料が数mmですが減っていたので「揮発?」「コック不良?」が疑われ、原因探求していなかったのですがコックに手を入れていなかったので確認と今後の為に今回分解してみました。O/Hに必要な部品を用意し、右側の水平出しタイプと左側の下出しタイプを分解しましたが、中身は水平出しタイプの方がコストが掛かっていて物は良さそうです。分解清掃し消耗部品を替え、タンクを載せて満タンに燃料を入れて容量を計測した所、23.4L程入りました。無理をするならもう少し入る ・・・
今日は好天ですが北陸地方は雪解け水が道路に流れ、融雪剤の散布もあり、乗らずに作業していました。正月休みに入ったので車庫の部品棚を移動し少しでもスペースを有効活用すべく片付けを進めつつ、R100Sに装着予定だったクランクケース内圧バルブを取り付けました。商品はNAGバルブの名称で販売されている物です。恐らくクランクケース減圧バルブ、レデューサー等の名称で色々販売されていますがNAGの物が元祖だった筈。NAGのホームページではR100R/RS/RT/GSはΦ12が対応となっていました。画像1枚目の場所しか取り付けスペースが無く、セルモーター脇は距離が近く振動で触れそうです。当たりを付けた場所をホー ・・・
土曜日に病院2か所いって午前中が埋まった 午後から部屋の掃除しようと思ったが、明日は高校からのダチとツーリングにいくのでツーリングプランに申し込んだ、2日間あるし、走りに行くか!とすべてを投げ出してPS250にETCカードをぶっ挿して出発 二日間2000円はいいけどちょっと範囲が狭いのよねぇ名二環乗れないのもイマイチ 名古屋→郡上八幡までサクッと高速で移動道の駅めいほうでフランクフルト他を食べるウマウマ 写真を撮りたかったがバイク置き場のところの銅像の前でずーーーーーーーーと電話してるおっさんがおって取るの無理ィってなってあきらめてこの角度 戻って下道を南下、256号でモネの池を横目に山県、岐 ・・・
師崎の朝市に間に合うようにでようとしたが結局朝くだぐだになって出発が8時過ぎになってしまった。 渋滞に巻き込まれながら半田を下っていると、警察のバスがいるなぁ・・・・ STOP止まれの旗を持って警察官さんがでてきた左に方向指示器だして停車 なんー? 原付じゃないからいいけど40km/hの道だから押さえて走ってねぇ とのこと 正面からみたらズーマーに見えるもんねぇPS250(;´・ω・) 無事朝市について軽くみて買い物、クーラーボックスに保冷剤入れて積んできてます!なお、古いクーラーボックスなので保冷力はイマイチでした(帰宅時保冷剤とけてた) スマホを見ると友達も今日はお休みとのことで半田でお昼 ・・・
VITPILEN 701を相当久しぶりに洗車しました。エアで水気を飛ばしてから乾かす為に軽く峠道を2本程走りました。今日の走行は24.5km 27分 平均速度54.4km/h ODO31031km お昼からはR100Sのアイドリング時の同調とスロットル開け始めの同調を軽く調整しました。点火時期は面倒なので後日。問題は無さそうなので少し試運転に出掛けました。36km程走って来ましたが、前回乗ったのは2020年11月12日。2年半前です。もうどんな乗り味だったか忘れています。リアサスをオーリンズにしたお陰か路面のうねり等の外乱が収束する具合が以前より遥かに良くなっています。タイヤは大昔の劣化タイヤ ・・・
昼から時間が取れたので先週組んだオイルサーモスタットを一旦取り外し、センターシャフト?センターチューブ?の確認をしました。ねじロック剤でしっかり固定されていたのでオイルを注入、標準のオイル量は2Lですが増量オイルパン等のおかげで3L程入りました。オイルクーラー内はオイルサーモスタットが油路を閉じているので空の筈です。油量は暖機後に再調整します。左右スパークプラグとロッカーカバーを取り外してセルを回し、ロッカーアームにオイルが回る事を確認。ついでにタイミングライトで軽く点火時期も確認。燃料ホースも仮ですが組付けました。燃料を入れれば即始動する筈です。明日は予定が多数入っているので始動は後日。
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・