今回は、体調崩してからの復帰ツーリング!近所を3時間ぐらい、夕方に走行してみましたが、数時間で身体が怠くなり、まだまだ復旧しませんが、ここはタイヤ交換後の試走で、砂の中を走って転倒した現場を、また走行し、前回より上達して(怠くて脱力ができているから?)、転倒なく走破できてしまいました!
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梅雨明けが早く、今年は存分に走るぞ・・・と意気込んでいたが休日は必ず雨マーク。 久しぶりのツーリングは海を眺めに南伊勢へ。 朝4時起床で装備を整え出発、国道23号線をひたすら南下、1時間30分程走行しバイパスのファミマで初休憩と一服・・・雲一つない青空に旅の期待が高まる。 23号線で伊勢ICまで南下、「伊勢二見鳥羽ライン」を経て「パールロード」に突入します。 鳥羽市に入り牡蠣屋が並ぶ海岸線の美しさを写真に収め、鳥羽展望台で本日2度目の休憩。 昨年は霧で何も見えませんでしたが今年はスッキリと水平線が望める。 的矢湾展望台まで一気に駆け抜け、パールロードは終了。 スペイン村を通り抜け、県道17号線 ・・・
2022/07/13 PM1600年関ヶ原で、西軍の敗戦が決し、島津勢は退却するにあたり、敵中突破し、豊久はこの戦闘において殿軍を務めたが、東軍の追撃は激しく島津隊も多数の犠牲を出した。井伊直政勢が迫り、鉄砲を一度放って、あとは乱戦。豊久は義弘の身代わり(捨て奸)となって、付き従う中村源助・上原貞右衛門・冨山庄太夫ら13騎と大軍の中へ駆け入った。薩藩旧記雑録には、「鉄砲で井伊直政を落馬させ、東軍の追討を撃退。島津豊久、大量に出血」という内容が記されている。一説によると、豊久は重傷を負いながらも義弘を9km近く追いかけ、瑠璃光寺の住職たちや村長が介抱したが、上石津の樫原あたりで死亡し、荼毘に付さ ・・・
今回は、宮内庁が治定した、三重亀山市、能褒野王塚古墳と、伝説の白鳥塚古墳の探索に行ってきました!こんなに近所に2つの説の古墳があることを知りませんでしたが、白鳥塚古墳の方が、本物でないかな?なんて・・・。能褒野王塚古墳は、現在の亀山市能褒野町の近くにある、巨大な前方後円墳ですが、鈴鹿市にある白鳥塚古墳はちっぽけな、帆立貝式古墳なんで、天皇の皇子であるヤマトタケルが小さいお墓では、まずいと考えた宮内庁が、被葬者不明をいいことに、勝手に治定したのではないかと・・・。急激に弱って、亡くなったのですから、緊急にお墓が必要なので、物理的に考えても、小さいお墓が正解ではないかと・・・。改めて大阪の羽曳野市 ・・・
岐阜関ヶ原からの帰りに気になったので、立ち寄ってみました!やっぱり、なんとなく、根拠ないですが、滋賀のラピュタより迫力があるよううな?立ち入りはできませんが、滋賀のラピュタと同じように、目の前の川の中には、入れるので、わりと近くまで行けます!それと、三重県の天然記念物「篠立風穴」(入り口のみ)まで見れます!三重県いなべ市にあった鉱山跡で白石藤原鉱山又は藤原鉱山とも呼ばれている。炭酸カルシウムの需要の増大に対応して1921年(大正10年)に桑名工場は創業を開始。1969年(昭和44年)閉山。現在は立ち入り禁止。(馬鹿が入って事務所跡建屋を燃やした)今では見れない貴重な写真をUPされてる方のHPを ・・・
今回は、三重伊賀市にある「霊山」に2度目の登頂! 前回は、台風通過後すぐだったので、路面は荒れ、濡れ、恐怖を感じながら上り下りしましたが、今回は、爽快快走で、登山を楽しんできましたが・・・また、調子に乗りすぎて・・・(泣)、高い授業料を払う羽目になってしまいました!霊山は、宗教色が強い、山頂には、中世期大伽藍があったそうで、天台宗の最澄さんが絡んでいたそうです。名阪国道伊賀のドライブインの裏手から林道を登っていきます。一本道なので、迷うことなく、上がっていけるのですが、モンキー125クラスでは、1速、2速多用しないと登りません!新型モンキーだと、シフトチェンジが頻繁になるような気がします。