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ウェビコミュ諸兄、ご機嫌よう。ようやく春めいてきた越後上越。その山間地では連日熊の出没情報が聞こえてくる季節となった。そこで、今回は私こと、きつね隊長が上越の山中へと赴き、彼らの生態を詳細に調査してくるもの也。
朝日からはR345に向かっていくつもりだったのですが、最初に使おうとした林道柏尾猿沢線は入った直後に通行止め看板() 仕方なく、ちょっと遠回りですがR7-新潟r6のルートに変更。山越えで日本海を目指す道で、海が見えてきた時の景色が良かったです。
先週末、デコピンと入れ替えで上越に持ってきたハードアタッカー。さっそく、調子を見ようと思い、上越市の山岳地帯へ登ってきました。
今年に入ってから、デコピンばかり活躍していました。しかし、山菜が芽吹くこの時期、活躍してもらいたいハードアタッカー。しばらくの眠りから解除し、エンジン起動!
冬の北陸ドライブ、千葉から東名~名神~北陸道と走り、やって来たのは妙高高原(新潟県)、ここでは温泉と郷土料理、そして素晴らしい雪景色が満喫できました。 これからは帰路、だが山岳地帯は積雪の凍結が懸念されます。けっこう距離もあるし ムリは禁物、そこで途中の諏訪で一泊し 余裕で帰ることにしました。 そして妙高の朝、部屋のカーテンを開けると、妙高山が金色に輝いているではないか、これは素晴らしい朝焼けだ!自然の営みの美しさ、いつまでも忘れることはないでしょう。
このところ我が越後国は連日の大荒れ、実に忌々しい日々を送っている。この悪天候、どうにかならぬものか・・・と、今回は私こときつね隊長が、山で大暴れをしている同志諸君へ、警告を込めて報告するところである。ときは今年10月22日のことだ。まずまずの秋晴れのなか、ハードアタッカー號を駆り上越周辺の山へと探索に赴いた。
ウェビコミュの諸兄、ご無沙汰であった。昨今、ロシアによるウクライナ侵攻をはじめ、ハマスのイスラエル攻撃と世界情勢は不安定を極めている。こうなると我々もうかうかしてはおれぬ、来たるべき非常事態に備え、私こときつね隊長が久々に隊員らと訓練出撃するに相成った。如何な荒れ地も走破し、瓦礫を越えて行け!隊員よ!
このお話も、ちょうど一年前の今頃のことです。秋が深まり、夜風も冷たくなった10月上旬。そろそろキノコでも出てくるかな、と、妙高市の標高1000メートルほどの場所にある笹ヶ峰キャンプ場へ行ってみました。まずはトランポからハードアタッカをおろして、キャンプ場の受け付け&テント設営。周囲が広々としたなかなかのロケーション。 さて、ここからハードアタッカーに乗って、ダートへGo!
日記を書かなくなった1年ほど前の夏。梅雨明け前の爽やかな7月初め、妙高市の高床山キャンプ場にハードアタッカーをのっけてやって来ました。
https://ameblo.jp/qys04715
8月18‐19日と新潟方面にツーリングしてきました。バイク仲間のSさんやKさんから19日1日限りの新潟方面への弾丸ツーリングのお誘いを受けましたが、フェーン現象で関東より暑い新潟に往復1000Kmの日帰りツーリングは、ロートルには辛いので、私だけ18日に現地前泊する計画で出かけました。
1日目は福島県で会津若松と喜多方市でのらりくらり喜多方市の旅館に泊まり喜多方ラーメンと馬刺しと地鶏を食べて満足飯! 2日目は新潟県の南魚沼方面まで西会津から新潟向かう道中は初めて走ったけど素晴らしい!前から気になってたへぎそばを食べて魚沼スカイラインを走り帰宅!やっぱバイク楽しいなぁ
芭蕉一行は、元禄2年7月6‐10日まで直江津、高田と連泊して、句会を開いているようです。奥の細道では特段の記述はないのですが、やはり曽良日記でそのことが記されていたそうです。 さて、私は4月2日の後半の旅を続けることにします。直江津からは北国街道と別れて北陸道の奥の細道を辿ることになります。pm2:00 北陸道の難所「親知子知(おやしらずこしらず)」に来ました。
高校時代の恩師が屋根の雪下ろしが年齢的に厳しくなってスキー場の民宿を廃業して、白馬から雪が余り積もらない大町に引っ越ししてその疲れでか?脳梗塞で年末に倒れて・・・やっとお見舞いに信濃大町へ!割と大きな民宿だったのですが?このご時世だから安く買ったのですが売るときは、購入価格の半額に・・・早稲田大学の山岳部だったので北アルプスが見える所が好きなようで?もっと松本の方に引っ越せばいいのに・・・信州大町に?脳梗塞で倒れてまた出費で・・・高額医療費の自己負担分ぐらいを持ってお見舞いに・・・
10月17日 芭蕉たちのルートをたどって酒田から新潟に向かいます。 酒田から新潟までは芭蕉は俳句を読んでいません。「荒海や 佐渡によこたふ 天の河」は新潟市内を通り越した出雲崎のもので、おくの細道にも、「この間九日、暑湿の労に神を悩まし、病おこりて事をしるさず。」とあり、旅の疲れと夏バテで俳句を読む気になれなかったと書いています。
さあて。お話しは、いよいよ次の日のところになりますよ。山の中で一夜を明かしたわしは、青い牛車に赤馬を乗せて、また旅へ出たんじゃ。そうじゃなあ。てんきも良いし、きょうは越中の国まで、足を伸ばしてみようかの。
さてさて、糸魚川のお話しの続きに入りますよ。山奥をうろうろとしていたところじゃが、県道一五五というもっともっとやま深い道までやって来たんじゃ。こちらから眺める黒姫山も、オツじゃなぁ。
岡山県の長船町にある大きな駄菓子屋さんへ行こー到着が早くて、開店前だったので、日生町でまずは食事にする。
きつね隊長により報告する、野営訓練記録の最終章である。6月26日の朝だ。0430にすでに周囲が明るくなり始め、テントから起き出して洗顔するとともに早朝の風を楽しむため散策を行う。このところ連日の猛暑だが、しかし早朝時間帯は空気が爽やかであり、大変宜しい。5時少し前より太陽系中心部の恒星が、水素の熱核融合反応により非常に目映い(まばゆい)光エネルギーを放出している。うむ。本日も暑くなりそうであるな。
先回から、きつね隊長がレポを継続する。なにせ書き込めるシーンが10に制限された現在、迂闊なことをダラダラと書いているうち、いつの間にかスペースが終了となる。心してかからねば、な。時は2040(ニマルヨンマル)、隊員の酒宴は最高潮となる。そこで重要なのは肴だ。夕刻の食料調達で地元食材を各種確保できた。これらを最高の肴に仕立てるのが、我々の真価を発揮すべきところだ。焚き火も本調子となり、調理、開始。
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