今日も休日快晴♬行くしかないでしょってことでプチツーリング♪ダムは遠くまで見渡せて快晴だったこともありすっごく緑も水もキレイだった♬帰りにチョコっと寄り道して道の駅「美濃にわか茶屋」で遅めの昼食。食べ過ぎた・・・。今日もたくさんヤエーしたし、年配の方とおしゃべりして楽しかった~♬
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光仁天皇が8歳の時に父(天智天皇第七子)が亡くなり、その頃に文官として古事記の編纂に関わっていたのが太安万侶。太安万侶は天武天皇の命令で歴史(天武・持統に都合よく)を書き直していた人物。天武系の称徳天皇が亡くなり、後継ぎが無かったので、ラッキーにも天智系の光仁天皇が即位!親孝行なので、亡くなった父親まで天皇にしてしまった・・・。この三人が同じ地域に埋葬されているのは、・・・?今回のツーリングは、名阪国道山添ICから、奈良県道80号を走行、この県道80号は、対面通行をキープしつつ、山あり谷ありの楽しいワインデングを提供してくれる楽しいルートです。後は、幅狭県道になるので、楽しいというより、ハラハ ・・・
余呉川右岸平地と琵琶湖岸を南北に走る賤ケ岳山系の西野山丘陵地帯は、平素は飲水にも困ったが,地勢が低いため余呉川氾濫時は滞水による作物の被害が大きかった。西野水道は、充満寺第11代住職・西野恵荘が氾濫防止のため西野山の掘削を計画、庄屋・村民を説得、彦根藩主井伊直亮の許可を受けて始めた。 1840(天保11)年着工。能登、伊勢から石工を招き、実に6年の歳月と1275両をかけて1845(弘化2)年に完成した。ノミだけで掘り抜かれた手堀りの岩穴である。以後余呉川の氾濫を防ぐ大きな役割を果たした。「近江の青の洞門」とよばれる。1950(昭和25)年のすぐ横に新水路、1980年に大型の新放水路(トンネル) ・・・