ホンダ「ツインリンクもてぎ」へ/懐かしの名車にご対面!
- ■車種名
- HONDA CB400スーパーフォア
- ■Myバイク
- CB400SF-V2
夏のある日、ウェビ友にお声かけいただき「ツインリンクもてぎ」へ行って来ました。
目的は もて耐公開練習会と「ホンダコレクションホール」の見学です。
これは初めての体験、楽しみです(2019.07.26)
目的は もて耐公開練習会と「ホンダコレクションホール」の見学です。
これは初めての体験、楽しみです(2019.07.26)
このところ梅雨の関係でバイクに乗るのは2ヶ月ぶり、それでもセル一発でエンジン始動!
17年前の古いバイクだが、未だに元気いっぱいです。
それでは 待ち合わせ場所の茨城県下妻へ向け出発、
首都高・外環道から常磐道へ乗り継ぎ 守谷SAで一休み、東の空も明るくなり 今日もいい天気になりそうです。
17年前の古いバイクだが、未だに元気いっぱいです。
それでは 待ち合わせ場所の茨城県下妻へ向け出発、
首都高・外環道から常磐道へ乗り継ぎ 守谷SAで一休み、東の空も明るくなり 今日もいい天気になりそうです。
そして谷和原ICからは常総バイパスを走り、「道の駅・しもつま」に到着、
待っていたのはウェビ友のたいゾーさんと まりこいさん、笑顔で出迎えてくれました。
まずは再会を祝し固い握手、心和むひとときです。
ここからは たいゾーさんに誘導してもらい「ツインリンクもてぎ」に到着しました。
待っていたのはウェビ友のたいゾーさんと まりこいさん、笑顔で出迎えてくれました。
まずは再会を祝し固い握手、心和むひとときです。
ここからは たいゾーさんに誘導してもらい「ツインリンクもてぎ」に到着しました。
日差しが強いので、まりこいさんが帽子を用意してくれました。
お気遣いありがとうございます。
ここはパドック、「ツインリンクもてぎ」は初めてのこと、
富士スピードウェイのF3000以来だから、パドックに入るのは13年ぶりです。
中に入ると、チームのマシンが見えました。
入念に点検し走行準備です。
お気遣いありがとうございます。
ここはパドック、「ツインリンクもてぎ」は初めてのこと、
富士スピードウェイのF3000以来だから、パドックに入るのは13年ぶりです。
中に入ると、チームのマシンが見えました。
入念に点検し走行準備です。
それではピットに戻り、そこで昼食にします。
気温も上がり蒸し暑い、そこで冷やしうどんをいただきました。ダシが効いておいしい!
まりこいさんは冷やしラーメン、なんと巨大な梅干しが入っている。梅干しに苦戦しながらも完食されました。
気温も上がり蒸し暑い、そこで冷やしうどんをいただきました。ダシが効いておいしい!
まりこいさんは冷やしラーメン、なんと巨大な梅干しが入っている。梅干しに苦戦しながらも完食されました。
そして もう一つの楽しみが、ホンダコレクションホール、
以前から一度はと思っていたので、やっと念願が叶った感じです。
3階建ての立派な施設に歴代の名車が勢ぞろい、これは圧巻!
その中から、特に思い入れのある車種を簡単に紹介します。
以前から一度はと思っていたので、やっと念願が叶った感じです。
3階建ての立派な施設に歴代の名車が勢ぞろい、これは圧巻!
その中から、特に思い入れのある車種を簡単に紹介します。
入口を入るとそこはエントランスホール、中央にはスポーツカーが展示されていました。
ホンダS500 1963年(昭和38年)
直4 DOHC 4キャブ 531cc 44ps 130km/h
ホンダ初のスポーツカー、この車で四輪車業界へ突入です。
高回転型エンジンは、「まるで グランプリエンジンのミニチュアのようだ」と いわれていたようです。
ホンダS500 1963年(昭和38年)
直4 DOHC 4キャブ 531cc 44ps 130km/h
ホンダ初のスポーツカー、この車で四輪車業界へ突入です。
高回転型エンジンは、「まるで グランプリエンジンのミニチュアのようだ」と いわれていたようです。
初代スーパーカブ 1958年(昭和33年)
自転車補助エンジンの開発から、いよいよ二輪車への挑戦が始まりました。
泥除(レッグシールド)・自動遠心クラッチなどで、女性にも扱いやすく 便利な乗り物として大ヒットします。
1961年には免許改定により、二人乗り可能な54cc(原二)も発売されました。
私も高校時には通学に乗っていた思い出のバイク、
それまでは自転車で坂道に難儀、だがカブなら楽々 もうオートバイの虜です。
自転車補助エンジンの開発から、いよいよ二輪車への挑戦が始まりました。
泥除(レッグシールド)・自動遠心クラッチなどで、女性にも扱いやすく 便利な乗り物として大ヒットします。
1961年には免許改定により、二人乗り可能な54cc(原二)も発売されました。
私も高校時には通学に乗っていた思い出のバイク、
それまでは自転車で坂道に難儀、だがカブなら楽々 もうオートバイの虜です。
ホンダ ロードレーサー RC143 1960年(昭和35年)
DOHC 4 バルブ 2気筒 124cc 23ps
1961年、世界選手権ロードレース第1戦で、初優勝を飾った記念すべきマシンです。
オートバイ、スポーツカー、レーシングマシンと、ホンダの心意気が詰まったエントランスホールでした。
DOHC 4 バルブ 2気筒 124cc 23ps
1961年、世界選手権ロードレース第1戦で、初優勝を飾った記念すべきマシンです。
オートバイ、スポーツカー、レーシングマシンと、ホンダの心意気が詰まったエントランスホールでした。
無線機用エンジン 1946年(昭和21年)
2スト 単気筒 50cc 1ps
ホンダのルーツ・補助エンジン付き自転車、これが見たかったのでちょっと感動、
宗一郎さんは自転車で買い物へ行く婦人の姿を見て、楽に走れるようにと エンジンを取りつけることを思いつきます。
そこで陸軍が使用していた発電機用のエンジンを仕入れました。
駆動はVベルト、燃料タンクは茶筒を流用して完成させます。
2スト 単気筒 50cc 1ps
ホンダのルーツ・補助エンジン付き自転車、これが見たかったのでちょっと感動、
宗一郎さんは自転車で買い物へ行く婦人の姿を見て、楽に走れるようにと エンジンを取りつけることを思いつきます。
そこで陸軍が使用していた発電機用のエンジンを仕入れました。
駆動はVベルト、燃料タンクは茶筒を流用して完成させます。
A型 自転車用補助エンジン 1947年(昭和22年)
2スト単気筒 ロータリーバルブ式 50cc 0.5ps
ホンダが初めて自社開発した自転車用補助エンジン
市販の自転車に簡単に取り付けられるとあって、1951年まで生産されたロングセラーモデルとなりました。
2スト単気筒 ロータリーバルブ式 50cc 0.5ps
ホンダが初めて自社開発した自転車用補助エンジン
市販の自転車に簡単に取り付けられるとあって、1951年まで生産されたロングセラーモデルとなりました。
ホンダカブ F型 補助エンジン付き自転車 1952年(昭和27年)
2サイクル ピストンバルブ式 単気筒 50cc 1ps 35km/h
燃料タンクがサドルの前にあり、衣服が汚れるとご婦人方に言われ、タンクとエンジンを後輪へ移しました。
販売価格は25,000円、誰でも乗れる画期的な乗り物が誕生、
これが爆発的なヒット、ホンダの基盤を築いた歴史的モデルです。
2サイクル ピストンバルブ式 単気筒 50cc 1ps 35km/h
燃料タンクがサドルの前にあり、衣服が汚れるとご婦人方に言われ、タンクとエンジンを後輪へ移しました。
販売価格は25,000円、誰でも乗れる画期的な乗り物が誕生、
これが爆発的なヒット、ホンダの基盤を築いた歴史的モデルです。
ホンダドリーム D型 1949年(昭和24年)
2スト 単気筒 ロータリーバルブ式 98cc 3ps 50km/h
ホンダ初のオートバイ、今後の大きな夢を託して「ドリーム」と命名されたようです。
ユニークなのがギヤチェンジ、ペダルの前を踏むと1速 足を放すとニュートラル、後ろを踏むと2速 放すと同様、
スーパーカブの自動遠心クラッチの先駆けです。
2スト 単気筒 ロータリーバルブ式 98cc 3ps 50km/h
ホンダ初のオートバイ、今後の大きな夢を託して「ドリーム」と命名されたようです。
ユニークなのがギヤチェンジ、ペダルの前を踏むと1速 足を放すとニュートラル、後ろを踏むと2速 放すと同様、
スーパーカブの自動遠心クラッチの先駆けです。
ヤマハ YA1 1955年(昭和30年) 2スト 単気筒 ピストンバルブ 123cc 5.6ps 85km/h
ドイツのDKW・RT125を参考にして造ったヤマハ初のオートバイ
当時オートバイメーカーはトーハツ・ブリジストンなど200社ほどあり、ヤマハは性能をアピールすべく社運を賭けレースに挑戦します。
エンジン出力を上げるにはどうしたらいいのか?そこで航空機のハイオクガソリンを試してみました。
陽が沈み走行実験をすると、エンジンが赤く光っていたという。これは失敗です。
ドイツのDKW・RT125を参考にして造ったヤマハ初のオートバイ
当時オートバイメーカーはトーハツ・ブリジストンなど200社ほどあり、ヤマハは性能をアピールすべく社運を賭けレースに挑戦します。
エンジン出力を上げるにはどうしたらいいのか?そこで航空機のハイオクガソリンを試してみました。
陽が沈み走行実験をすると、エンジンが赤く光っていたという。これは失敗です。
そのとき、ドイツDKW社から届いたマフラーを装着してみると、0.5ps向上、
マフラー形状で性能が左右されることを学び、技術者たちは寝る間も惜しんで改良に全力を尽くしました。
そして第3回 富士登山レースで見事優勝、「赤トンボ」の愛称で親しまれたといいます。
マフラー形状で性能が左右されることを学び、技術者たちは寝る間も惜しんで改良に全力を尽くしました。
そして第3回 富士登山レースで見事優勝、「赤トンボ」の愛称で親しまれたといいます。
ホンダ ドリーム CS71 1958年(昭和33年)
4スト 2気筒 OHC 247cc 19.7ps 135km/h 182,000円
ホンダ初のオンロード スポーツモデル、
ベースの実用車 C71に斬新なWシートとアップマフラーを装着し、スポーティーなバイクの誕生です。
4スト 2気筒 OHC 247cc 19.7ps 135km/h 182,000円
ホンダ初のオンロード スポーツモデル、
ベースの実用車 C71に斬新なWシートとアップマフラーを装着し、スポーティーなバイクの誕生です。
ホンダ ドリーム スーパースポーツ CB72 1960年(昭和35年)
空冷 4スト OHC 2気筒 247cc 24ps 155km/h
モータースポーツ市場の拡大を目指し開発された本格的スポーツモデル
レース用キットパーツも豊富に取り揃えられ、各レースで大活躍します。
機能美溢れるスタイリッシュなボディーは ライダー憧れのマシンに、
欲しくてたまらない私は高1のとき(昭和42年)、上野の中古車街へ買いに行きました。
しかし爆発的人気で かなり高くて買えません。
そこで店主の勧めで、安いスズキT20 2ストツイン250を購入、これで行動半径が広がりバイクライフの始まりです。
空冷 4スト OHC 2気筒 247cc 24ps 155km/h
モータースポーツ市場の拡大を目指し開発された本格的スポーツモデル
レース用キットパーツも豊富に取り揃えられ、各レースで大活躍します。
機能美溢れるスタイリッシュなボディーは ライダー憧れのマシンに、
欲しくてたまらない私は高1のとき(昭和42年)、上野の中古車街へ買いに行きました。
しかし爆発的人気で かなり高くて買えません。
そこで店主の勧めで、安いスズキT20 2ストツイン250を購入、これで行動半径が広がりバイクライフの始まりです。
ホンダ レーサー 2RC143 マン島TTレース出場車 1961年(昭和36年)
4スト 2気筒 DOHC 4バルブ 124cc 23ps 180km/h
1961年、マン島TT 125ccクラスでは1位~5位まで独占という快挙を遂げます。
そしてこの年、ホンダは悲願のマニファクチャラーズ/ライダーズチャンピオンを獲得しました。
4スト 2気筒 DOHC 4バルブ 124cc 23ps 180km/h
1961年、マン島TT 125ccクラスでは1位~5位まで独占という快挙を遂げます。
そしてこの年、ホンダは悲願のマニファクチャラーズ/ライダーズチャンピオンを獲得しました。
ホンダ CR93 ベンリーレーシング 高性能ロードスポーツ 1962年(昭和37)
4スト 2気筒 DOHC 124cc 16.5ps 135km/h
クラブマンレース規定に対応したマシンに 保安部品を装備したストリートバイク
まるでレーサーそのもの、床の間に飾って置きたいほどです。
4スト 2気筒 DOHC 124cc 16.5ps 135km/h
クラブマンレース規定に対応したマシンに 保安部品を装備したストリートバイク
まるでレーサーそのもの、床の間に飾って置きたいほどです。
ホンダ ドリーム スクランブラー CL72 1962年(昭和37年)
4スト 2気筒 OHC 247cc 24ps
スクランブラーシリーズ第1号車、スポーツモデル CB72のエンジンを搭載し 悪路走行も可能なモデル、
細いストレートマフラーが特徴的、軽快で歯切れのいい排気音は心地いいものでした。
4スト 2気筒 OHC 247cc 24ps
スクランブラーシリーズ第1号車、スポーツモデル CB72のエンジンを搭載し 悪路走行も可能なモデル、
細いストレートマフラーが特徴的、軽快で歯切れのいい排気音は心地いいものでした。
ホンダ ドリーム CB450 1965年(昭和40年)
空冷4スト DOHC 4気筒 444cc 43ps 180km/h
初のDOHCエンジン搭載バイク、海外での大型バイク市場開拓を目指したスーパースポーツ
高3の頃(昭和45年)、同級生A君がこのCB450に乗っていました。
当時、同級生B君はヤマハDS5E 2ストツイン250c、私はヤマハR1 2ストツイン350です。
そこで伊豆へ3人で卒業ツーリングをした思い出があります。
だが都内で一人迷子に、携帯も無い時代 とうとう会えず2人で伊豆半島を一周しました。
西伊豆は断崖を走る悪路、難儀した思い出があります。
空冷4スト DOHC 4気筒 444cc 43ps 180km/h
初のDOHCエンジン搭載バイク、海外での大型バイク市場開拓を目指したスーパースポーツ
高3の頃(昭和45年)、同級生A君がこのCB450に乗っていました。
当時、同級生B君はヤマハDS5E 2ストツイン250c、私はヤマハR1 2ストツイン350です。
そこで伊豆へ3人で卒業ツーリングをした思い出があります。
だが都内で一人迷子に、携帯も無い時代 とうとう会えず2人で伊豆半島を一周しました。
西伊豆は断崖を走る悪路、難儀した思い出があります。
ヤマハ トレール DT-1 1968年(昭和43年)
2スト 単気筒 246cc 18.5ps 120km/h
トレールというジャンルを切り開いたオフロードバイク、
1967年、アメリカで初披露され 日米で空前の大ヒットとなりました。
発売から5ヶ月後、北海道で日本グランプリが開催、
DT1に乗るは忠さん、2万人の観衆が見守る中 巧みに乗りこなし見事優勝、DT-1のポテンシャルの高さが証明されました。
2スト 単気筒 246cc 18.5ps 120km/h
トレールというジャンルを切り開いたオフロードバイク、
1967年、アメリカで初披露され 日米で空前の大ヒットとなりました。
発売から5ヶ月後、北海道で日本グランプリが開催、
DT1に乗るは忠さん、2万人の観衆が見守る中 巧みに乗りこなし見事優勝、DT-1のポテンシャルの高さが証明されました。
ホンダ ドリーム CB750 FOUR 1969年(昭和44年)
空冷 4スト OHC 4気筒 4キャブ 736cc 67ps
世界初の量産4気筒 OHCエンジン搭載のスーパースポーツ
威風堂々たる車格に、宗一郎さん曰く「こんなバケモノ、誰が乗るんだ?」と、
このモデルで多気筒大排気量バイクの時代が到来、海外でも日本のバイク人気が高まりました。
世界初の200km/h越え ゼロヨン 12.6秒の高性能、日本ではナナハンブームが勃発します。
空冷 4スト OHC 4気筒 4キャブ 736cc 67ps
世界初の量産4気筒 OHCエンジン搭載のスーパースポーツ
威風堂々たる車格に、宗一郎さん曰く「こんなバケモノ、誰が乗るんだ?」と、
このモデルで多気筒大排気量バイクの時代が到来、海外でも日本のバイク人気が高まりました。
世界初の200km/h越え ゼロヨン 12.6秒の高性能、日本ではナナハンブームが勃発します。
ホンダ CB750F(F-Z) ロードスポーツ 1979年(昭和44年)
空冷4スト DOHC 直4 748cc 68ps
斬新なヨーロピアンスタイルで登場したホンダのナナハン、たちまち注目の的に、
その当時はバイクを降り 車オンリーの生活をしていました。
すると高校時代の友人がGSX750Eでリターン、これがきっかけで私はこのCB750F(F-A)でリターンしました。
高速道路を余裕で走るCB750F、各地へ連れて行ってくれた思い入れのあるバイクです。
空冷4スト DOHC 直4 748cc 68ps
斬新なヨーロピアンスタイルで登場したホンダのナナハン、たちまち注目の的に、
その当時はバイクを降り 車オンリーの生活をしていました。
すると高校時代の友人がGSX750Eでリターン、これがきっかけで私はこのCB750F(F-A)でリターンしました。
高速道路を余裕で走るCB750F、各地へ連れて行ってくれた思い入れのあるバイクです。
ホンダ NSR250R SP ロードスポーツ 1988年(昭和63年)
水冷 2スト Vツイン リードバルブ式 249cc 45ps
ロードレースで活躍するレーサー「NSR250」の技術を取り入れた特別仕様モデル
特に88年型は「ハチハチモデル」と呼ばれ、伝説的存在となりました。
マグネシウムホイール、PGMシステムの採用で 扱いやすさと速さを両立させた最強のマシンです。
私の上司も所有していたので 乗らせてもらいました。
コーナーリングはスムーズ、しかも250なのにナナハンより早く感じられるジャジャ馬でした。
水冷 2スト Vツイン リードバルブ式 249cc 45ps
ロードレースで活躍するレーサー「NSR250」の技術を取り入れた特別仕様モデル
特に88年型は「ハチハチモデル」と呼ばれ、伝説的存在となりました。
マグネシウムホイール、PGMシステムの採用で 扱いやすさと速さを両立させた最強のマシンです。
私の上司も所有していたので 乗らせてもらいました。
コーナーリングはスムーズ、しかも250なのにナナハンより早く感じられるジャジャ馬でした。
これからは車の展示場を見てまわります。
スピードに挑戦したレースカー、環境に優しい排気ガス規制に対応したCVCCエンジンの技術、そして人に代わるロボットへのテクノロジーが見ものです。
パネルに「世界一でなければ出さない」・・・世界への挑戦です。
宗一郎さんの並々ならぬ意気込みが感じられます。
スピードに挑戦したレースカー、環境に優しい排気ガス規制に対応したCVCCエンジンの技術、そして人に代わるロボットへのテクノロジーが見ものです。
パネルに「世界一でなければ出さない」・・・世界への挑戦です。
宗一郎さんの並々ならぬ意気込みが感じられます。
ホンダスポーツ S360 オープンカー 1962年(昭和37年)
直4 DOHC 356cc 33ps
ホンダ初のスポーツカー、鈴鹿サーキットでセンセーショナルなデビューを遂げました。
ハンドルを握るは宗一郎さん、助手席は開発担当の中村さんです。
宗一郎さんは、満面の笑みを浮かべ メインスタンド前をさっそうと走り抜けました。
二輪販売の厳しい冬でも売れる商品として四輪進出を望んでいました。
このとき、宗一郎さんの夢が叶った瞬間です。
1962年の自動車ショーにS360とS500を出展、すると黒山の人だかりとなり、大反響に包まれます。
翌年のS500発売に向け、「S500価格当てクイズ」を実施、なんと応募ハガキが570万枚、日本中が注目しました。
そして公表された価格は、45万4千円、常識を大きく下回る価格でした。
直4 DOHC 356cc 33ps
ホンダ初のスポーツカー、鈴鹿サーキットでセンセーショナルなデビューを遂げました。
ハンドルを握るは宗一郎さん、助手席は開発担当の中村さんです。
宗一郎さんは、満面の笑みを浮かべ メインスタンド前をさっそうと走り抜けました。
二輪販売の厳しい冬でも売れる商品として四輪進出を望んでいました。
このとき、宗一郎さんの夢が叶った瞬間です。
1962年の自動車ショーにS360とS500を出展、すると黒山の人だかりとなり、大反響に包まれます。
翌年のS500発売に向け、「S500価格当てクイズ」を実施、なんと応募ハガキが570万枚、日本中が注目しました。
そして公表された価格は、45万4千円、常識を大きく下回る価格でした。
ホンダ S800 オープンカー 1966年(昭和41年)
水冷 直4 DOHC 791cc 70ps 160km/h ゼロヨン16.9秒
最高速 160km/h、ホンダ初の100マイルカーです。
美しく高性能、数々のレースで大活躍、世界中に熱烈なファンを持つ伝説のスポーツカーです。
ライバルはトヨタスポーツ800(ヨタハチ)155km/h ゼロヨン18.4秒だから、比較するとホンダの動力性能の凄さが分かります。
だが非力なヨタハチと侮れません。空力に優れたボディーが武器、レースでは互角の勝負をします。
水冷 直4 DOHC 791cc 70ps 160km/h ゼロヨン16.9秒
最高速 160km/h、ホンダ初の100マイルカーです。
美しく高性能、数々のレースで大活躍、世界中に熱烈なファンを持つ伝説のスポーツカーです。
ライバルはトヨタスポーツ800(ヨタハチ)155km/h ゼロヨン18.4秒だから、比較するとホンダの動力性能の凄さが分かります。
だが非力なヨタハチと侮れません。空力に優れたボディーが武器、レースでは互角の勝負をします。
ここからはレーシングマシン、
1962年、宗一郎さんはF1参戦を決心、いよいよ世界一への挑戦は始まりました。
研究所・所長の「だれでも最初は素人なんだよ」というお言葉に、チーム全員一丸となり開発に取り組みます。
1964年、念願のF1マシンデビュー(1.5リッター V12気筒)、この快挙はF1界に大きな衝撃を与えました。
翌年、メキシコGPでは見事優勝、宗一郎さんの夢「世界一」を果たした瞬間でした。
1962年、宗一郎さんはF1参戦を決心、いよいよ世界一への挑戦は始まりました。
研究所・所長の「だれでも最初は素人なんだよ」というお言葉に、チーム全員一丸となり開発に取り組みます。
1964年、念願のF1マシンデビュー(1.5リッター V12気筒)、この快挙はF1界に大きな衝撃を与えました。
翌年、メキシコGPでは見事優勝、宗一郎さんの夢「世界一」を果たした瞬間でした。
ジョーダン HONDA EJ12 2002年
V10 DOHC 4バルブ 3000cc 800ps
F1デビューを果たした佐藤琢磨さんは 日本GPで5位初入賞、チームランキング6位を貢献した記念すべきマシンです。
V10 DOHC 4バルブ 3000cc 800ps
F1デビューを果たした佐藤琢磨さんは 日本GPで5位初入賞、チームランキング6位を貢献した記念すべきマシンです。
そして筑波山のふもとにやって来ると、風が強くなってきました。
いよいよ台風の接近、成田山に立ち寄るつもりだったが 降られない内に帰るとします。
しばらく走り、成田ICから東関道を走り 無事帰宅しました(315km)
今回はたいゾーさんの走りと ホンダの歴史にも触れられ 有意義なひとときが過ごせました。
ウェビ友に感謝、ありがとうございました。
おわり
いよいよ台風の接近、成田山に立ち寄るつもりだったが 降られない内に帰るとします。
しばらく走り、成田ICから東関道を走り 無事帰宅しました(315km)
今回はたいゾーさんの走りと ホンダの歴史にも触れられ 有意義なひとときが過ごせました。
ウェビ友に感謝、ありがとうございました。
おわり
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