ちょっと南下ツー
海沿いのクネクネを堪能してこちらの
「丹賀砲台園地」に到着
http://www.yappa-saiki.sakura.ne.jp/saiki-kankou/miru/b/cat52/post-19.html
「丹賀砲台園地」に到着
http://www.yappa-saiki.sakura.ne.jp/saiki-kankou/miru/b/cat52/post-19.html
砲台は太平洋と瀬戸内海を結ぶ豊予海峡の防衛のため豊予要塞が整備され、四国側と大分県側に3基ずつ砲台を設置。
丹賀砲台はその主力として1931年9月に完成。
軍事条約によって廃艦となった巡洋艦「伊吹」の後方主砲だった30センチカノン砲を転用し、豊予要塞最大の砲台だった。
太平洋戦争が始まって約1ヵ月の42年1月11日、実射訓練をした際に砲身内で爆発事故が起き、将兵ら16人が死亡、約40人が負傷。
事故により砲台も全壊。
替わりの砲台として、15センチカノン砲を備えた鶴御崎砲台を急遽、近くに整備した。
こちらの丹賀砲台跡は現在、園地として整備されていて
弾を砲台に運ぶため急勾配の斜坑(約80メートル)、コンクリート製の砲塔、地下弾薬庫などが残ってます。
砲塔内部には当時の写真や施設概要、年表など、砲台に関する歴史を説明するパネルが展示されてます。
※大分合同新聞記事より一部抜粋
丹賀砲台はその主力として1931年9月に完成。
軍事条約によって廃艦となった巡洋艦「伊吹」の後方主砲だった30センチカノン砲を転用し、豊予要塞最大の砲台だった。
太平洋戦争が始まって約1ヵ月の42年1月11日、実射訓練をした際に砲身内で爆発事故が起き、将兵ら16人が死亡、約40人が負傷。
事故により砲台も全壊。
替わりの砲台として、15センチカノン砲を備えた鶴御崎砲台を急遽、近くに整備した。
こちらの丹賀砲台跡は現在、園地として整備されていて
弾を砲台に運ぶため急勾配の斜坑(約80メートル)、コンクリート製の砲塔、地下弾薬庫などが残ってます。
砲塔内部には当時の写真や施設概要、年表など、砲台に関する歴史を説明するパネルが展示されてます。
※大分合同新聞記事より一部抜粋
都道府県:
大分県
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