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杉さん
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コメント(全14件)
ついこの間走った場所の昔が見れて感激です。
下道1000KMとは、杉さんも若かったですね。
私は下道500KMのマスツーリングで、帰りはみんな無言でした。
だらしない連中です、私もだけど。(笑)
昔は赤土の道が沢山あったんですよね。
私は温暖化の原因は、排気ガスよりもアスファルトの輻射熱の方が大きいと思っているんですが。
林道復活しないかな?(笑)
今思えば若気の至りです。でも好奇心旺盛で、いてもたってもいられず出かけて来ました。
東名が昭和43年に東京-厚木間が開通した頃ですので、一般道でのツーリングが普通でした。
それに交通渋滞が少なかったので、1000kmも走れたと思います。
でも疲れた。精根尽き果て私も無言でした。翌日から三日間、バイクには乗りたくありませんでした。
キムさんが見た景色と変わらないと思います。自然は偉大です。
変わったのは、アスファルトが多くなったのと、化石燃料を一気に使い始めたことによる温暖化ですかね。
私たちの幸せと自然保護、共存共栄であって欲しいですね。
はじめまして。
とても興味深い日記です。
と、言うのも、私は、S42年生まれ、杉さんが小山を走っていた頃、隣の結城で産まれたばかりの赤ん坊をしていました。
そして、現在の自宅は郡山の南のとある町にあります。R4から300mほど入った所です。ここも通りましたね!多分、行きも帰りも。
でも、下道1000km24時間耐久はすごい?しかも、国道が大半とは言え、現代の高規格道路ではなく、昔の砂利が浮いてそうな道路。
私も、今年の6月に1日1000kmを走りましたが、ほとんど高速道路、しかも比較的高年式バイクだったので、その大変さは足下にも及びません。
今は、単身赴任で埼玉在住のため、よくR4を使い、バイクで帰りますが、下道200km4時間が最短です。ほぼこのペースで24時間走ったことになりますね。コンビニもない時代に。
浄土平や蔵王も幾度か走ってます。エコーラインはいつ行っても、寒くて凍えてます(夏の夕方でも寒い位です)。
息子さんもライダーという事で。。。
実はうちもです。去年、私が乗っていたCB1300SBを譲りました。それまでは2スト150ccに乗せてました。現代では貴重な2ストとなってしまいましたので。
私が小山でラーメンを食べていた時、タケさんはミルクを飲んでいらっしゃったのでしょうかね。
あれから約50年あっという間です。人生50年というが、もう当時の元気はありません。年金生活で時間はありますが、日当たり100kmから200kmのツーリングを楽しんでいます。
千葉でも当時は砂利道が多く、舗装されているのは国道位でした。ですので当時はオフロードは得意でした。だが今は苦手、舗装路専門です。
でも、タケさん 高速を利用しても1000km走行は立派です。これからもバイクツーリングを楽しんで下さい。
郡山も大きな街でホテルがたくさんありますよね。以前ツーリングに行って泊まろうとしましたがどこも満室で泊まれませんでした。そこで市内にある健康ランドに一泊した思い出あります。
埼玉は、私の息子と妻の弟が住んでいます。その関係で埼玉へはよく行っているんですよ。
子は親の背中を見て育つんですね。長男はバイクと酒、次男は釣りと酒。顔も趣味も一緒です。タケさんも親子ツーリングを楽しんでください。
世間知らずの田舎のあんちゃんが、意を決して遥か彼方の東北へ冒険の旅をしました。
ミズスマシのように家のまわりのみで生活していた少年が初めて見た世間の風景に感激しました。
バイクって素晴らしい。こんなに感動したのは生まれて初めてのこと、体が震えるほどでした。
喜びも悲しみも無い平凡な生活はいやだ。もっともっと世間を見てまわりたい。
「気持ちいいと感じるスピードと距離」・・・いいお言葉、名言です、まさに私の思うところです。NINJA BAKAさん よくご存じでいらっしゃる。
風を切って知らない町を走ればワクワク感がこみ上げてきます。この躍動感が病気を撃退する薬かもしれませんね。
この日記の写真、杉さんの宝物ですね!
この日記を見た後、杉さんのひとつ前のツーリング日記も読みました。
私が若い頃読んでいたバイク小説のようで、映像が思い描けるような日記に感動しました。
私も杉さんに負けないように、相棒と自分のメンテナンスを怠らず
60歳を超えてもツーリングに出かけられるようにしたいと思いました。
お誉めいただき ありがとうございます。
現在は退職して3年目、時間があるので好きなバイクを走らせ温泉や大自然の景色を楽しんでいます。
バイクは私を何処へでも連れて行ってくれる良き相棒です。
そんな相棒に、春は新緑 秋は紅葉の素晴らしさを目にすると、つい相棒に話しかけてしまいます。
私が生まれた所は田舎でしたので、バイクは欠かせない交通手段でした。
祖父のバイクの後ろに乗り、海水浴や灯篭流しなどに連れて行ってもらったこともありました。
そして、これがきっかけでバイクに興味を持つようになりました。
テツワンさんの日記も拝見しています。いつも素敵な写真ですね。
九州は妻の生まれ故郷、山口は妻の父の生まれ故郷です。なにかご縁を感じます。
若いって素晴らしい。怖いものなしで体力有り余り。
私も、とある友人の家が「たまり場」となっていて
夜11時頃だったか「腹減ったなぁ~よしラーメン食いに行くか!」
皆で中央道(当時は勝沼で終わり)ひた走り、着いたのはなぜか諏訪高島城。
ラーメン屋探して腹ごなし。その後プラプラ。
朝方、白樺湖畔で黄昏れていたのを思い出します。
何か、自分の思い出話ばかりになってしまいました。
杉さんも若い時は相当・・・(略 笑
初めてのツーリングから思い切って行動されたのは、やはり若さの特権ですね。
真夜中のさすらい、この行動力は若さそのものですね。
私もスナックでカンバンまで飲み、その後 仲間と日光へドライブ。
当時、飲酒運転はOKでした。おまわりさんに「気を付けて帰れよ」と言われたこどがありました。
車も好きで、毎年代替していました。でも1年しか乗っていなので下取りが高いので購入出来ました。
若い頃、さんざん遊んだので結婚してからは、あまり遊びたいとは思わなくなりました。
ジッポーさんと、同じような生き方をしているように思えます。歳を取ってから遊ぶよりいいかも。バイクは別です。
昔の話で恐縮です。私が小学生の時、井上パンが10円から15円に、5円の値上げをしました。庶民は、高い!と言い不買運動をしたことがありました。
また、自転車でアイスキャンディーを売りにも来ていました。ピンクや白があって一本10円だったかな。そんな時代でした。
その後、高度経済成長期を迎え、一気に文化的な生活が出来るようになりました。
現在も世の中が変化しつつありますが、そのスピードが速や過ぎます。今の若い人はたいへん。
その点、私はいい時代に生きてきたものだと、幸せを感じています。若いって素晴らしいことです。
若さゆえー♪ いいですね若いって。みなぎる体力、果てのないスタミナ!
やっぱ十代でバイクに乗れたのは素晴しいですよね。今は・・タイリョク・ナイナイ(笑)
当時は今より下道は空いていても、舗装なんてあんまりなかったんじゃやないでしょうか。僕が住んでいた和歌山南部では国道でも砂利道が多かったですよ。
そんな道路事情で1000km!絶倫すぎます(笑)いや神がかりでしょう!
杉さんの若いライダー写真が、実は一番のお宝じゃないでしょうか♪
だって最後の写真をみれば、どんなに楽しいか、わかりますモン(^^)/
確かに若さって素晴らしい。希望に満ちていましたから。
初めてのバイク、アクセルをひねるだけで夢のスピードの世界へ。感動ものです。
それまでは、歩くか若しくは自転車ですので、まさにオートバイは魔法の乗り物。
自分の世界観ががらりと変わりました。では未知の蔵王へ行ってみようか?こんな願いも叶えてくれました。
国道以外は砂利道が多かったですね。だが車のタイヤで固められ走りやすかったですよ。
その後、機械にはまりトヨタに入社してしまいました。それもメカニック希望で。しかし人事の都合で部品部門へまわさりましたが。40年以上働いてしまいました。