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59人

16歳の冒険/ がむしゃら1000km.蔵王エコーラインへ

ツーリング期間
2009年08月23日 ~ 2009年08月23日
車種名
SUZUKI T250
Myバイク
スズキ T20
走行距離
1004km

はじめに
夏休みになり、毎日暑い日が続いています。
私が子供のころは、暑くても「30℃」だったと記憶しています。

そんな49年前(1967.08.23)の夏休みのこと、山形蔵王へツーリングをして来ました。
今回は私の初ツーリング記念日です。

私は16才、高校1年のとき(1967年)待望の自動二輪の免許を取得しました。
そして、上野の中古車街にで中古のバイクを購入。
スズキのT20型、2スト 2気筒250cc 6段ギヤ。 スズキが誇るスーパースポーツです。

今までは自転車。 これからはバイク、何処へでも行ける。 行動半径が一気に広がります。
今までにない最高の喜びでした。

そして昭和42年(49年前)の夏のある日、月間紙「オートバイ」で見た憧れの「蔵王エコーライン」へ、意を決して行ってみることにしました。
若い私にとっては、かつてない大冒険です。

千葉から山形へは遠い。 途中、どこかで一泊のつもりで出発しました。
だが、宿が見つからず、まさかの日帰り強行軍になってしまいました。
これは一般道で、往復1000km がむしゃらに走った人生初のツーリング日記です。

(写真は、蔵王エコーラインでのワンショット。白黒フィルムです)

夜中の12時 山形蔵王を目指し出発・・・

愛読のバイク雑誌によると、蔵王エコーラインは全長26km、眼下に蔵王の壮大な景色が見られる山岳道路です。
どんなところか、期待が膨らみます。

そこで、家族へ山形へ一泊で行く旨を告げると、
親から、「お前は怖いもの知らずだね」と言われたのを今でも覚えています。

初めての県外ツーリング、しかも一人。 期待と不安で小さな胸は緊張感でいっぱいです。
横になるも、全く寝つけません。
ええいっ、では出発してしまおう。

真夜中の12時、千葉県市原の家をそっと出発しました。
持参したカメラは、ネガフィルム式の2眼レフ 「アイレスカメラ」です。
カラーフィルムは高くて買えません。当然、白黒フィルムです。

千葉から16号線を走り埼玉県の春日部に到着。
まだ夜中、辺りは真っ暗です。
当時、東北道は開通しておらず一般道を走ります。

当然ナビも無く、道路標識と地図を頼りに、4号線(日光街道)に出ました。
トラックが多くスピードも凄い。 風圧でバンドルをとられます。おおっ恐ろしい!
ネオンで車体を飾りたてたトラックばかりです。 青や緑などで色鮮やかでした。

しばらく走っていると 冷えてきた。 寒い! 夏なのに。
すると、前方にドライブインが見えて来ました。
小山辺りだったと思う。おなかも空いたので一休みです。
夜中なのに、広い駐車場はトラックでいっぱいでした。

中に入ると寒い! えぇっ冷房している。
どうやら、夜風を浴びて走っていたので、体が冷えきってしまったらしい。

ラーメンを食べている人が多い。 温まりそうなので、私も注文。
ラーメンは50円です。ガソリンも50円/L、ほぼ同じ値段でした。

ところが、急に店内が真っ暗に。 あれっ停電だ! 店員がローソクをつけてまわっている。
当時は、よく停電したものです。
ほのかな灯りの中、しばらく待つと出来上がりました。
うん、おいしい。 体も温まりました。

では、出発します。 北へ向かい走っていると、辺りが明るくなってきました。
おぉ夜明けだ! 左手に日光の山々が見えて来ました。 遠くへ来たもんだ、バイクって凄い。

そして、栃木県から福島県に入りました。
郡山から会津街道を西へとバイクを走らせます。

右も左も山ばかり、車も少なく静かなところです。
しばらく走ると、猪苗代湖が見えて来ました。
初めて見る猪苗代湖は想像以上に大きく驚きです。

湖畔を走っていると、「野口英夫記念館」がありました。
早速見学。 生い立ちや功績など、わかりやすく展示されている。 偉大な人です。

では、浄土平を目指し出発。 上り坂が延々と続きます。

山深い峠道を20km程走ると、土湯峠に差しかかりました。
すると、何やら白い湯気が見える。 なんと温泉が湧き出している。
初めて見る自然の威力に驚きです。火山は凄い。

そこからは、「裏磐梯スカイライン」を走ります。
吾妻連峰を縫うように走る全長28kmの山岳ドライブウェイです。
標高1600mの高原は夏なのに涼しい。 眺めも良く気分爽快です。

しばらく走ると、荒涼とした風景に変わりました。
前方には、「吾妻小富士」が見えて来ました。 「浄土平」です。

駐車場にバイクが停まっている。
「ヤマハ YDS3」と「ホンダ CB72」です。 カッコいい!
欲しくても買えないもどかしさを感じました。

上野の中古車街では、人気が高く高額でした。
今でも、憧れのバイクです。

では、吾妻小富士の頂上へ行ってみます。
斜面の歩道を登りました。
見た目より勾配がきつく、登山そのものです。

そして、大きな噴火口が見えて来ました。
まるで大きなすり鉢。 これは凄い! 迫力に圧倒されます。

(写真には、昭和30年代、40年代の懐かしい車が見られます)

次に、蔵王へ向かいます。
「高湯温泉」経由で福島市街に入りました。
標高1600mから100mへ一気に下ります。
高原は寒かったので、ここはポカポカ暖かく感じられます。

福島から米沢街道を進みます。
山の中の登り坂を30kmほど走ると、山形県の米沢の街に入りました。

すると、何やら大きな工場がある。
中を覗くと、はた織り機がたくさん並んでいる。 「米沢銘仙」です。
ここは絹織物が名産なんですね。後日、父親から聞き初めて知りました。

写真は怖さ知らずで16才の私、疲れた表情で機織り工場の前で一枚です。
田舎のあんちゃんみたいですけど、生意気にスカーフを巻いてカッコつけています。
(後ろの車は、初代トヨタマークIIRT60型 昭和43年式です)

そこから更に北へと進むと、上山(かみのやま)温泉に到着。

その先は、夢に見た蔵王です。
遂にやって来ました「蔵王エコーライン」です。 胸のときめきが収まりません。

標高1600m、天空の山岳ロード。 雄大な奥羽山脈の眺めは絶景です。
26kmに渡りヘアピンカーブが続き、走りごたえのあるワインディングロードでした。
夢にまで見たエコーライン、感動です。

登り切ると「御釜」に到着。
上から覗くと直径約300mの火口湖になっている。

エメラルドグリーンのきれいな色、とても神秘的です。
初めて見る景色に感激です。バイクって凄い、こんなところまで来られるとは。

ここは夏なのに寒い、さあ帰ろう。
途中、宿があったら泊まります。

(写真は蔵王エコーラインでのワンショット。美しい蔵王連峰が見えます)

山形蔵王から宮城県の白石を経由し、福島県に入りました。
しかし、宿は見当たらない。 ならば、このまま帰ることにします。

福島から郡山・那須へと ひたすら走ります。
信号が少なく快調です。 郡山あたりで日が傾いてきました。

しばらく走ると、きれいな夕日が見られます。
そして街の明かりも灯り始めました。

那須-宇都宮-春日部へと夜の国道がどこまでも続いています。
街のネオンを見ながらひたすら走り続けます。

利根川を越えると、間もなく千葉県です。
もう真夜中、暗い夜道を走ります。

がむしゃらに走り、夜の12時 無事帰宅しました。
ああぁ 疲れた、やれやれだ!

おわりに
今回は、初めてのロングツーリング。
しかも、見知らぬ土地で見る景色は衝撃的でした。

走りに走った24時間、がむしゃら1000kmは忘れられない思い出になりました。
猪苗代湖、吾妻小富士、蔵王エコーラインなど初めて見る景色に感動です。

知らない街を見てまわりたい。そんな願いを叶えてくれるバイクって素晴らしい。
バイクは、感動を与えてくれる良き相棒。
あれから49年、現在もバイクで各地を巡っています。 その都度、新たな発見があります。

バイクに乗ると、当時の少年に戻ります。
この世に道がある限りバイクで走り続けたい。

(写真は1967年、実家近くの畑にて。 そのころ、私も若かったものだ)

コメント(全14件)

キム(first penguin) ヨガの眠り中さん
杉さん、どうも!
ついこの間走った場所の昔が見れて感激です。
下道1000KMとは、杉さんも若かったですね。
私は下道500KMのマスツーリングで、帰りはみんな無言でした。
だらしない連中です、私もだけど。(笑)
昔は赤土の道が沢山あったんですよね。
私は温暖化の原因は、排気ガスよりもアスファルトの輻射熱の方が大きいと思っているんですが。
林道復活しないかな?(笑)
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杉さん
キムさん こんばんは
今思えば若気の至りです。でも好奇心旺盛で、いてもたってもいられず出かけて来ました。
東名が昭和43年に東京-厚木間が開通した頃ですので、一般道でのツーリングが普通でした。
それに交通渋滞が少なかったので、1000kmも走れたと思います。
でも疲れた。精根尽き果て私も無言でした。翌日から三日間、バイクには乗りたくありませんでした。
キムさんが見た景色と変わらないと思います。自然は偉大です。
変わったのは、アスファルトが多くなったのと、化石燃料を一気に使い始めたことによる温暖化ですかね。
私たちの幸せと自然保護、共存共栄であって欲しいですね。
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タケ[愛犬はチワワ]さん
杉さん、
はじめまして。

とても興味深い日記です。
と、言うのも、私は、S42年生まれ、杉さんが小山を走っていた頃、隣の結城で産まれたばかりの赤ん坊をしていました。
そして、現在の自宅は郡山の南のとある町にあります。R4から300mほど入った所です。ここも通りましたね!多分、行きも帰りも。
でも、下道1000km24時間耐久はすごい?しかも、国道が大半とは言え、現代の高規格道路ではなく、昔の砂利が浮いてそうな道路。
私も、今年の6月に1日1000kmを走りましたが、ほとんど高速道路、しかも比較的高年式バイクだったので、その大変さは足下にも及びません。
今は、単身赴任で埼玉在住のため、よくR4を使い、バイクで帰りますが、下道200km4時間が最短です。ほぼこのペースで24時間走ったことになりますね。コンビニもない時代に。
浄土平や蔵王も幾度か走ってます。エコーラインはいつ行っても、寒くて凍えてます(夏の夕方でも寒い位です)。
息子さんもライダーという事で。。。
実はうちもです。去年、私が乗っていたCB1300SBを譲りました。それまでは2スト150ccに乗せてました。現代では貴重な2ストとなってしまいましたので。
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杉さん
タケさん どうも はじめまして
私が小山でラーメンを食べていた時、タケさんはミルクを飲んでいらっしゃったのでしょうかね。
あれから約50年あっという間です。人生50年というが、もう当時の元気はありません。年金生活で時間はありますが、日当たり100kmから200kmのツーリングを楽しんでいます。
千葉でも当時は砂利道が多く、舗装されているのは国道位でした。ですので当時はオフロードは得意でした。だが今は苦手、舗装路専門です。
でも、タケさん 高速を利用しても1000km走行は立派です。これからもバイクツーリングを楽しんで下さい。
郡山も大きな街でホテルがたくさんありますよね。以前ツーリングに行って泊まろうとしましたがどこも満室で泊まれませんでした。そこで市内にある健康ランドに一泊した思い出あります。
埼玉は、私の息子と妻の弟が住んでいます。その関係で埼玉へはよく行っているんですよ。
子は親の背中を見て育つんですね。長男はバイクと酒、次男は釣りと酒。顔も趣味も一緒です。タケさんも親子ツーリングを楽しんでください。
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NINJA BAKAさん
ものすごくいい想い出です!誰もしないような、馬鹿げていると思われるかもしれないことが決して消えない記憶になるんだろうなぁ。苛酷な挑戦をされていた頃僕はまだ、生まれていません。母のお腹の中。すごい歴史を感じます。秋になって涼しくなったらまたロードを走るといいですよ。杉さんが気持ちいいと感じるスピードと距離を!それが元気の秘訣。大丈夫!ワクワク感がたくさんだと病気はなくなるんです。
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杉さん
NINJA BAKAさん こんにちは
世間知らずの田舎のあんちゃんが、意を決して遥か彼方の東北へ冒険の旅をしました。
ミズスマシのように家のまわりのみで生活していた少年が初めて見た世間の風景に感激しました。
バイクって素晴らしい。こんなに感動したのは生まれて初めてのこと、体が震えるほどでした。
喜びも悲しみも無い平凡な生活はいやだ。もっともっと世間を見てまわりたい。

「気持ちいいと感じるスピードと距離」・・・いいお言葉、名言です、まさに私の思うところです。NINJA BAKAさん よくご存じでいらっしゃる。
風を切って知らない町を走ればワクワク感がこみ上げてきます。この躍動感が病気を撃退する薬かもしれませんね。
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テツワンさん
はじめまして!

この日記の写真、杉さんの宝物ですね!
この日記を見た後、杉さんのひとつ前のツーリング日記も読みました。
私が若い頃読んでいたバイク小説のようで、映像が思い描けるような日記に感動しました。

私も杉さんに負けないように、相棒と自分のメンテナンスを怠らず
60歳を超えてもツーリングに出かけられるようにしたいと思いました。
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杉さん
テツワンさん どうも はじめまして
お誉めいただき ありがとうございます。
現在は退職して3年目、時間があるので好きなバイクを走らせ温泉や大自然の景色を楽しんでいます。
バイクは私を何処へでも連れて行ってくれる良き相棒です。
そんな相棒に、春は新緑 秋は紅葉の素晴らしさを目にすると、つい相棒に話しかけてしまいます。
私が生まれた所は田舎でしたので、バイクは欠かせない交通手段でした。
祖父のバイクの後ろに乗り、海水浴や灯篭流しなどに連れて行ってもらったこともありました。
そして、これがきっかけでバイクに興味を持つようになりました。
テツワンさんの日記も拝見しています。いつも素敵な写真ですね。
九州は妻の生まれ故郷、山口は妻の父の生まれ故郷です。なにかご縁を感じます。
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ジッポーさん
杉さん
若いって素晴らしい。怖いものなしで体力有り余り。
私も、とある友人の家が「たまり場」となっていて
夜11時頃だったか「腹減ったなぁ~よしラーメン食いに行くか!」
皆で中央道(当時は勝沼で終わり)ひた走り、着いたのはなぜか諏訪高島城。
ラーメン屋探して腹ごなし。その後プラプラ。
朝方、白樺湖畔で黄昏れていたのを思い出します。
何か、自分の思い出話ばかりになってしまいました。
杉さんも若い時は相当・・・(略 笑
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きたきつねさん
コンばんわ。実に俺が生まれる前のお話にさかのぼり、ラーメン一杯50円とか実際には見たことのない時代の話なので、逆に新鮮です。
初めてのツーリングから思い切って行動されたのは、やはり若さの特権ですね。
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杉さん
ジッポーさん こんばんは
真夜中のさすらい、この行動力は若さそのものですね。
私もスナックでカンバンまで飲み、その後 仲間と日光へドライブ。
当時、飲酒運転はOKでした。おまわりさんに「気を付けて帰れよ」と言われたこどがありました。
車も好きで、毎年代替していました。でも1年しか乗っていなので下取りが高いので購入出来ました。
若い頃、さんざん遊んだので結婚してからは、あまり遊びたいとは思わなくなりました。
ジッポーさんと、同じような生き方をしているように思えます。歳を取ってから遊ぶよりいいかも。バイクは別です。
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杉さん
きたきつねさん こんばんは
昔の話で恐縮です。私が小学生の時、井上パンが10円から15円に、5円の値上げをしました。庶民は、高い!と言い不買運動をしたことがありました。
また、自転車でアイスキャンディーを売りにも来ていました。ピンクや白があって一本10円だったかな。そんな時代でした。
その後、高度経済成長期を迎え、一気に文化的な生活が出来るようになりました。
現在も世の中が変化しつつありますが、そのスピードが速や過ぎます。今の若い人はたいへん。
その点、私はいい時代に生きてきたものだと、幸せを感じています。若いって素晴らしいことです。
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だんだんさん
杉さん、こんにちは。

若さゆえー♪ いいですね若いって。みなぎる体力、果てのないスタミナ!
やっぱ十代でバイクに乗れたのは素晴しいですよね。今は・・タイリョク・ナイナイ(笑)

当時は今より下道は空いていても、舗装なんてあんまりなかったんじゃやないでしょうか。僕が住んでいた和歌山南部では国道でも砂利道が多かったですよ。
そんな道路事情で1000km!絶倫すぎます(笑)いや神がかりでしょう!

杉さんの若いライダー写真が、実は一番のお宝じゃないでしょうか♪
だって最後の写真をみれば、どんなに楽しいか、わかりますモン(^^)/
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杉さん
だんだんさん こんにちは
確かに若さって素晴らしい。希望に満ちていましたから。
初めてのバイク、アクセルをひねるだけで夢のスピードの世界へ。感動ものです。
それまでは、歩くか若しくは自転車ですので、まさにオートバイは魔法の乗り物。
自分の世界観ががらりと変わりました。では未知の蔵王へ行ってみようか?こんな願いも叶えてくれました。
国道以外は砂利道が多かったですね。だが車のタイヤで固められ走りやすかったですよ。
その後、機械にはまりトヨタに入社してしまいました。それもメカニック希望で。しかし人事の都合で部品部門へまわさりましたが。40年以上働いてしまいました。
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