3月31日 今回の山陰の旅の最終日となりました。 浜田から益田を経由して萩に向かうつもりが、無意識というか条件反射的にいつの間にか津和野に向かっていました。(^^;津和野に近づいて道路標識に「津和野」という文字が見えだしたところで、ルートを間違えたことに気が付きましたが、すでにアフターカーニバル...(--)C地点 津和野 am8:30仕方ないので津和野市内を少しぶらついて、萩に向かいました。(^^;
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Met with some good friends from work and headed out up into the mountains. went to the local dam and then went on to go take some pictures. We then went further up the mountain to a place called American diner then after some good food we went to the rider spa and rest area then back home.
憧れだったSSTRに今年は参加することが出来ました!! 泊まりがけのツーリングは何年振りだろう、15年以上は行ってない。2月にエントリーして、準備も念入りにしてきたつもり。そうそう、Webikeでもタナックスのツーリングバックを買ったりね。ホーク11は思った以上に、ロングツーリングでも辛くはないので、心配はしてませんてした。(お尻は痛くなる予感がするので、ゲル座布団を買いました!) 一番の心配は、日の出とともに出発するということ!そんな朝早く起きられる!?5月末の日の出は4時30分。。家から太平洋の海岸まで1時間と見たら、家を出るのは3時30分です!!幸い仲間とも連絡を取り合い、3時にはモゾモ ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・
夜中も少し雨降ったけど、朝は晴れてました。荷物を軽トラに押し込んで、テントは乾燥させるためにそのまま、手早く朝食のフランスパンとコーヒーを胃に収めてM子さん出発!昨日の開かずのゲートから入り登って行くと三叉路が出てきます。昨日は萩原方向に進みましたが、今日は左手に進み、鉄塔広場に向けて進みます。至る所が落ち葉の絨毯で道が覆われてロマンチックな感じなんですが、葉っぱの下にこぶし大の石やマッドな地面が隠れていて3回ほどフロントタイヤが滑るわ跳ねるわ。できるだけ山側のラインを通っていても一気に谷側に寄っていってヒヤリ。ここは落ちたらシャレにならない高さなんで気をつけて進みます。疲れてきた頃に林道の中 ・・・