3月31日 今回の山陰の旅の最終日となりました。 浜田から益田を経由して萩に向かうつもりが、無意識というか条件反射的にいつの間にか津和野に向かっていました。(^^;津和野に近づいて道路標識に「津和野」という文字が見えだしたところで、ルートを間違えたことに気が付きましたが、すでにアフターカーニバル...(--)C地点 津和野 am8:30仕方ないので津和野市内を少しぶらついて、萩に向かいました。(^^;
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またしばらく機関が空いてしまいました。とりあえず、3月は仕事の関係で予定していたことが全くできず(単車に乗れず)ストレスたまりまくってたので、無理やり4月頭の袖ヶ浦の走行会に参加してきました。 以前から一度は走ってみたいと思っていたのですが、なかなか踏ん切りがつかず(だって遠いんですもの)。今回、3月に乗れなかったこともあって、思い切って遠征してみました。 体力衰えてるので、素直に前後泊で2泊3日のお出かけでした。いやぁ、やっぱ千葉は遠かったです。まず、蛯名から町田までの渋滞の酷いこととアクアラインまでの道のわかりにくさに前日から疲れてしまいました。(田舎者には首都高難しいです) けど、袖ヶ浦 ・・・
4月2日から4日まで奥のカブ道後半を走って、大垣で完結となったわけですが、そのまま千葉まで帰っても面白くないので、芭蕉が奥の細道に出る前年に更科紀行の旅をしているのでその足跡を巡る旅をすることにしました。 更科紀行は、貞享5年(1688)8月に芭蕉が姥捨ての「田毎の月」と「善光寺」を見たくなって、俳句の門人「越人」を伴って美濃~木曽~善光寺~江戸深川までを旅したもので、散文的な旅行メモと、末尾に11首の俳句をまとめたものです。奥の細道が行く先々の場所に合わせて俳句を残しているのに対して、更科紀行は末尾にまとめて俳句が掲載されているので、文面を読み解いて、おそらくここの場所で詠んだものだろうと推 ・・・