9月最終週少し体調を崩してしまい、大人しくしてました(笑)で今日から10月です、天気も良くて少し遠出をして見ようと先日ウェビにコメントをさせて頂いてるゆーくさんが日記でアップされてた山城の国まで行って見ました。朝9時半自宅を出て一路西阪道を一路西へ出発、少し薄着で出たので肌寒さが有りましたがここは我慢(笑)して走行上野東インターで降りて伊賀上野城方面に向かい旧国道25号線と国道163号線の交差点から左折して旧大和街道を目指して走ります。
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皆さんご存知の方も居られるかと思いますが、今日高田崇史さんの小説【 カンナシリーズ (9冊有ります)】の舞台伊賀市に有る【 伊賀一之宮 敢国(あえくに)神社 】近辺にある神社の息子と神主に使える方の娘そして甲賀にある油日神社の息子が主人公の一種の歴史に関する事柄に関り色々な事件が起きそれを解決していくシリーズものです。その舞台になってる場所と某国営放送局の朝ドラスカーレットの舞台の信楽駅近辺をウロウロしてきました。ウェビ仲間の方がこちらを通られるということで朝8時30分ごろ西名阪関ドライブインに出向いたんですが少し遅れてしまいもう通過された後の様でお会いできなかったんですが、折角出掛けてきたん ・・・
各地から紅葉の便りがウェビメンバーから日記でアップされてるので、私も出掛けて見ました実はウェビの方の日記を見て、行ってみたくなったが本音ですが(笑)出掛けて行ったのは安楽峠という亀山から滋賀県土山に出る峠道ですここは昔織田信長氏が明智光秀氏に本能寺で襲われて亡くなった後豊臣秀吉氏と滝川一益氏との争いで東海道鈴鹿峠越えはかなりの急坂な上、かなり難所で人馬で越すのは大変なので昔から村人たちが通っていた脇道として利用したという狭い道です【 秀吉の安楽越え 】と言われた山道です。鈴鹿越えは関所もあり可なりの難所、で関所を通るのが嫌な旅人がはこちらの道を歩いて旧東海道に出て行ったのではここを通るのは始め ・・・
9月から1ヶ月ぶりに遠出をして見ました。出掛けたのは滋賀県東近江市鯰江町国道307号線から少しは言った所に有る鯰江城址です。但しもう城跡は残っておらず案内板だけですがここの城主は鯰江氏(三井氏から養子に六角氏に入った)で後に六角氏が織田氏に攻められたときに匿って戦い滅亡した一族です。その後全国に逃げ延びて遠くは豊後の土地に毛利氏(森氏から改名・・・毛利氏本家から名前を名乗るのを許される)として大名になった一族や大阪で豊臣氏の仕えて森氏として生き延びた一族そしてはっきりした文献が残ってはないんですが、三井家として三重の津市で武士として生活し更に武士を捨てて商人となり三井財閥の基礎を築いた一族も有 ・・・
天気は晴天気温は29℃まで上がってます。今日は鈴鹿市役所での展示イベントを見に行ってみました。東海道の分間絵図をパソコンで取りこみ今回は三重の宿場町にのみを地元語り部の皆さんが作製されたものを鈴鹿市役所で展示されてるということです。*東海道分間絵図とは今は原本が東京国立図書館にしかないそうでネットで公開されてるそうです慶長6年(1601)、江戸幕府により東海道五十三次の宿場が決められてその後日本橋を基点として一里塚も制定されました。宿場間の距離、道の様子など描いたものだそうです。その時に色々な絵図も作成されましたが、そのなかで遠近道印(おちこうどういん)が作製、菱川師宣が描いたものが分間絵図で ・・・